俺に撃たせろ!

 「コロッケ五円の助」とか「タンクタンクロー」とか、作品の中に平気で出して来るとり・みきはなぜか歓迎できるのに、植木等とかを作品に持ち込んで、「こりゃまた失礼」とかやらかす火浦功が妙に苦手なのはどうしてなんだろうと考える。結論は容易に出そうもないけれど、パッと思いつく可能性としては、漫画という絵が最優先する表現で、懐かしいイコンと共に昭和30年代あたりの風俗を見せられるのと、言葉でもって当時の風俗を再現させられるのとでは、受ける印象が違ってしまうことがあるような気がする。

 かたや懐かし系の復権と認められ、日常に紛れ込んだ不条理として納得できてしまい、こなた十年一日の如くつぶやいている寒いオヤジギャグとして受け止められ、失笑すら通り越して鳥肌を立てさせてしまうからなのかもしれない。知らない人は知らない人で、絵なら「なんだこりゃ」と驚かせられるけれど、文章は知らない人にはどうやったって理解させることは不可能で、注釈を入れるとなおのこと、テンポがずれていっそう寒さを増してしまう。

 あと個人的な理由として、テンポの良い会話に言い回しの妙が光る地の文でもって、読む人をねじ伏せていた時代の作品に馴れ親しんだ身として、当人とほかごくごく限られた世代の人だけが笑える懐かし系の話題でもって、読む人の歓心を誘うなんて小技なんて使わずに、そういった方向で再びの大活躍を願いたいっていう気持ちが強く心に残っていて、懐かし系に走る火浦功に、眉を顰めさせてしまうのかもしれない。

 その意味でいうなら、徳間書店のデュアル文庫で出た「俺に撃たせろ!」(徳間書店、505円)は、90年から92年という書いた時代が時代だった関係か、それとも本人の乗りが最高潮に達していたのか、あるいは当時の担当編集の懐かし系禁止のお達しが行き届いていたからか、会話の妙に展開の不条理なまでの突き抜けぶりが際だっていて、過去に何ら火浦功の作品に耽溺していない人でも存分に楽しめる作品になっていて、ファンでもファンでなくっても、読めば歓喜に震え笑いによじれ感動にむせび泣くこと必至だろう。

 かつて「SFアドベンチャー」に「アルツ・ハマーへ伝言」として連載された小説を1冊にまとめたこの「俺に撃たせろ!」。帯に長いが襷には短い尺で放置されていたのかもしれない作品が晴れて堂々の文庫化とゆー事態に、「ノヴェラ」という中編を選んで文庫化する企画を立ち揚げ「俺に撃たせろ!」を収録させられる土壌を作った出版社にまずは一礼。おまけにあろうことか書き下ろしの番外編まで付けられている大盤振舞で、20世紀とともに消えていくのかと思われた伝説の作家が、タイムマシンも世紀内は出来るかもしれない21世紀になってなお、しぶとく生き残っているんだとういことが確認できる作品集に仕上がっている。

 何事も忘れっぽいアルツ・ハマーという探偵が、真夏であるにも関わらず、サンタクロースの衣装を着てプールに落ちて死んでいた男の事件を捜査するうちに、忘れっぽさがわざわいしてかそれとも幸運に転んでか、より大きな事件へと巻き込まれていって、それでもちゃんと解決してみせるというストーリー。その展開のインプロビゼーションでいっぱいの思うがままな展開にまず感嘆し、間あいだに繰り広げられるシチュエーションコメディの味わい深さに陶然とさせられる。

 「『いい質問だ』俺は、至極もっともらしい顔をして、ポケットからラッキーストライクを取り出し、火をつけた。煙の行方を目で追いながら、俺はもう一度、うなづいてみせた。『いい質問だ』」(61ページ)。

 これだけ抜いてら分からない人にはまったく分からない文章も、主人公の性癖そしてそれすらを記憶できない主人公の俺様ぶりを理解して読むと、これほどまでにおかしいシチュエーションはなく、それをたったこれだけの文章で描写している筆さばきには、ただただ感動するより他にない。ロスアンジェルスにいる”伝説の情報屋”のキャラクターの奥深さといったら。雰囲気だけでそれなりなキャラを無理矢理妄想してしまう、恥じらいとか後悔といった言葉とは無縁の(なにしろアルツ・ハマーだから)主人公を生みだしたキャラクター造型のパワーにも、やはり深い感銘を覚える。

 連載された分の最終回に当たる「完結編」の、プールで死んでいたサンタクロースなんてもはやどうでも良いという感じで進む展開の、異常で不条理なんだけどまさしくアルツ・ハマーが主人公を張ってる話らしいと思わせる雰囲気に、主題とストーリーと語り口のハマった時の火浦功の凄みというものを、改めて見せつけられた気がする。

 アルツ・ハマーの美貌の秘書のジェニファーが、タイプライターで事件簿を打つラストシーンの、肝心な部分で全然落ちてなかったりするからこそ、忘れっぽいアルツ・ハマーを主人公にしたストーリーらしさを感じさせる決まり具合といったら。それゆえにだからこそ、書き下ろしでつけられた「番外編」に現れる不条理劇の妙なすべり具合が気になって気になって仕方がない。

 なるほど連載中の本編で置いてけぼりにされた謎に、キチンとした理屈がつけられているのは良いけれど、謎を置いてけぼりにして突っ走しって良しとしてしまうのがアルツ・ハマーのアルツ・ハマーたる所以であったりする訳で、説明し過ぎな「番外編」には正直蛇足のような印象を抱いてしまった。同じ不条理なストーリーであっても、連載中の分については思考がブッ飛んでいるって意味での不条理だったけれど、対するに「番外編」の方は、現実非現実の垣根を吹き飛ばしてそれこそお伽の世界へと引きずり込んでしまうような不条理で、そうしたニュアンスの格差が、読んで違和感を抱かせる理由になっている。

 人によってはそれで良しってことになるから異論は唱えないし、是か非かで言うなら初めて本としてまとまった「俺に撃たせろ!」はもちろん買い。「番外編」を読む読まないは個人個人で判断してもらうとして、連載分のあまりに腑に落ちないからこそ腑に落ちてしまうという、何とも不思議な世界へと誘ってくれる物語を堪能し、火浦功の真骨頂とはオヤジギャグなんかじゃない、今だって未来にだっておかしい爆裂する奇想で描くシチュエーションで見せるコメディなんだということを、改めて分かってもらえれば、後のさらなる復活へとつながる可能性もあってファンとしては嬉しい。だから書け。


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