トライ
T.R.Y


 圧倒的だからこそヒーローと呼ばれる。強さや美しさだけではもちろんない。例えば戦国時代の3英傑。織田の力、豊臣の奸智、徳川の忍従の、それぞれが突出していたからこそ歴史に名を刻む活躍をし、人心を捉え奮わせることができた。

 悪漢でも然り。憎まれながらも讃えられるには突出した何かがなくてはならない。天下無敵の大泥棒、冷血無比な連続殺人者、金庫破りに掏摸詐欺師等々、軽重を訪わずその「悪」を貫くポリシーが醸す存在感があって、はじめてアンチであってもヒーローとしての支持を持ち得る。

 井上尚登の横溝正史賞受賞作「T.R.Y」(角川書店、1500円)はなるほど、1人の詐欺師を主人公にしたピカレスク・ロマンともコン・ゲームとも括れる悪漢小説、アンチ・ヒーロー小説だ。伊沢修と呼ばれる主人公は、実に様々なな活動をその生涯において繰り広げている。

 例えばドイツでで難渋していた芸者の支援、日露戦争時における明石元二郎大佐を助けての反ロシア活動、上海での椿幸四郎子爵から寄付を得て行った学校設立、そして英米を向こうに回して働いた詐欺による辛亥革命指導部への資金援助等々。その来歴に、よほどの大物ヒーローの登場を読者は予感させられる。本文に突入するや一転して伊沢修が上海にある刑務所に暮らす場面に切り替わり、何だと思わせる一方で、これは世を忍ぶ仮の姿、やがて冒頭のおうな八面六臂の活躍を、東奔西走して見せてくれるだろうと期待させて止まない。

 実際に伊沢修は動き出す。かつて関わりを持った少女が清王朝に反乱を企て捕まり死んだ、それを恨んだ少女の父親が、伊沢を恨みその命を奪うために暗殺者を刑務所まで送り込んだ。その一方で伊沢の持ち前の詐欺師としての能力を買って、関虎飛という大男が刑務所まで乗り込んで来た。暗殺者の手をひとまずかわし、関のスカウトに乗って伊沢修は日本へと向かい、孫文が企てている革命に必要な銃器を日本の軍部の権力闘争を利用してかすめとろうと画策する。

 何やら深い過去を持っていそうな伊沢修に、中国革命同盟会の幹部だった関虎飛、最初は命令、次は純粋な恨みから伊沢をつけねらい日本にまで渡った朝鮮半島出身の暗殺者キム・ヨル、かつてドイツで救われたお礼に今は伊沢を助ける芸者の喜春等々。そのプロフィルだけなら魅力に事かかない大勢のキャラクターがわんさと登場しては伊沢と絡む。

 こうした助力を得てかつ敵をなぎ倒し、圧倒的な頭脳とパワーを見せつけてこそのアンチ・ヒーローだと読者が留飲を下げられるかというと、案外に「T.R.Y」ではあまり解放感が得られない。騙しのテクニックの巧みさも、陰りをおびた過去もなるほど筋は通っている。しかし周囲の強烈無比なキャラクターたちを押しのける強さが、伊沢にはそれほど感じられない。

 ロシア革命の時の屈辱的な経験で得た絶望感や、中国革命に若い女性を巻き込み死なせてしまった積念といったものが、もっと主人公のキャラクターに厚みを与て苦悩の中でより使命感を際だたせて然るべきはずなのに、どうしてもその活躍に目を奪われない。

 エンディングに近づくに連れて盛り上がる、伊沢と暗殺者のキム・ヨルのバトル、死んだ女テロリストの姉という触れ込みで現れた女性の明かされる正体、そして大仕掛けを駆使し人も動員しての激しい騙し合いバトルの数々、さらにはエンディング間際の大どんでん返しに、小説としての面白さ、エンターテインメントとしての完成度は間違いなく持った作品と断言できる。まさしく手練れの仕事だ。

 だからこそ、せめてもう少しで良いから、伊沢とはどういった人間で、何が彼をして詐欺師にし、それでも残された正義感のために働くのかを分からせてくれば、たとえ伊沢の正体がチンケな詐欺師であっても、その行動その心情に感情移入も出来ただろう。行動や才能で無理でも気持ちで突出してさえ入れば、読み手は立派にヒーロー、アンチ・ヒーローの姿をそこに見ることが出来るのだ。

 同じ目的に向かって力を合わせ突き進む人々の群像劇とはならず、かといって圧倒的なヒーローを押し立てての英雄譚ともなりえない曖昧さが、筋立てや道具立ての派手さの割には屹立するイメージを想起させ得なかった理由かもしれない。が、今どき1人の人間がどうこうしたところで世の中など微塵も変化しない。ヒーローが生まれ難くなった世に贈る、伸ばせば届きそうな場所にいるヒーロー像として、この程度の意志頭脳行動力が相応しいのかもしれない。


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