トラブる×トラベる
国境の果て 空の下

 上海蟹が食べられるのはいつ頃か? そして10月と11月の期間中に雄雌のどちらを選ぶのが最適か? イタリアに行って列車を使うなら何に注意をしたら良い? 発車時間までまだしばらくあるからとホームを離れてしまって大丈夫か? タヒチはどこの国の統治領? パレオがタヒチの民族衣装だったというのは本当?

 世界旅行したい人なら知っておいて損はない、そんな情報がまるごと分かるのが神無月ふみの「トラブる×トラベる」(ジグザグノベルズ、950円)。若い男女が世界を狭しと飛び回っては大活躍する物語を読めば、誰でも世界旅行のエキスパートになれる、かもしれない。地域やシチュエーションが、ちょっぴり限定されるけど。

 主人公の片倉勇輝は薬局で働くアルバイター。仕事は棚の欠品の補充係。もちろん忙しくなればレジだって打たなくちゃならないけれど、勇輝は補充だけが大好きでレジ打ちのような仕事は大嫌い。商品が売れて棚が空いたところに補充して、整った形にすることに生きがいを感じている。

 そんな勇輝を尋ねてきた女性あり。東堂麻衣子という、学校を出たてだからなのか世間知らずで、真面目さだけが取り柄の新米自衛官。なのに突然、得たいの知れない政府方面の男に呼び出され、「世界の平和に関わる重大任務」を命じられ、薬局に行き勇輝と会い、連れだって世界を回り「ゾディアック」という遺物を回収して歩く羽目となる。

 この東堂麻衣子。とにかく堅物で裏も表もない性格で、茶髪に全身ピアスという勇輝の恰好も気に入らなければ、政府の特命だというのにぐずぐずとして腰を上げない勇輝の態度も気に入らない。それでも仕事だからと気持ちを切り替え、どうにか勇輝を引っ張り出しては香港へと飛ぶ。

 出国の際に全身から金属製のピアスをはずして金属探知器をくぐり抜け、それから付け直す勇輝に呆れ、どうして外して来ないかとなじる麻衣子だったけれど、実はこのピアスに勇輝という青年の秘密があった。勇輝は特異な力の持ち主で、ピアスはその力をコントロールする上で大きな役割を果たしていた。

 勇輝の特異な力には政府も一目置いていて、陰の仕事を勇輝に依頼していたこともあって、それが今回の「ゾディアック」回収の仕事に繋がった訳。もっとそんな事情はまるで知らない東堂麻衣子。石を集めて回るだけの気軽な旅だと信じていて、香港では上海蟹を食べるのだと意気込み、それも小龍包の入っているコースにするのだ、うまいに違いないとガイドブックを片手に品定めに余念がない。

 そして香港に到着した晩に、上海蟹を食べに行こうと勇輝を誘うものの、裏でこっそりと現地のエージェントに接触し、その夜に「ゾディアック」を回収する段取りになっていた勇輝は、麻衣子に隠れて博物館へとしのび込んで、無事に「ゾディアック」を奪取する。

 残る1日はせめて麻衣子を誘って上海蟹でもと思ったのも束の間に、勇輝とはまた違った特異な力を持つ少女と少年が現れ、勇輝と麻衣子に挑んできた。武器を使わずに破壊する力を駆使する少年と少女はいったい何者? そんな2人と関わりがあるような言動を見せ自らも不思議な力を発揮する勇輝の正体は?

 次々と浮かんで来る謎から物語は、イタリアへ、タヒチへ、内戦が続く中東の国へと飛んで回っては、「ゾディアック」を回収する仕事をこなし、「ゾディアック」を奪おうとする謎の組織と対決する展開へと進んでいく。

 その過程で単なる貧乏くじを惹かされた素人にしか見えなかった麻衣子に実は、勇輝のパートナーに選ばれるだけの理由があったということが分かり、ではいったい彼女は何者なのかという興味が掻き立てられる。かつて同じ組織に所属しながら、仲違いして袂を分かった勇輝ことクリストファーと組織を率いるアンドリューとのこれからとか、組織に所属する他の能力者たちの戦いぶりがどう描かれるのかにも興味津々。続く物語に期待がかかる。

 それ以上に楽しみなのは、根が堅物故に融通の利かないまま振り回される麻衣子の慌てふためく様だ。香港では着の身着のままで逃げ出す羽目となったため、土産物屋で買ったパンダのTシャツを着せられる恥ずかしい思いを味わい、さらにファッションの国・イタリアでバッグを買う夢を果たせず、こちらでは3色にイタリア半島が染め抜かれたスウェットを着せられるという屈辱を味わう。

 上海蟹を食べ逃し、ラザニアにもありつけず、お腹をすかせて世界を飛び回る麻衣子の振り回されっぷりが、次にどうエスカレートしていくのか? 根が実直だからか真面目に仕事をこなそうとして、壁にぶち当たってその壁をぶち壊す猪突猛進ぶりは、今時の悩んでばかりなキャラクターに辟易とさせられている身に、前向きの勇気と底抜けの明るさを感じさせてくれるだろう。

 最初はただの怠惰でいい加減な男だと思った勇輝が、生まれながらに背負っていた苦悩を知り、一緒に上海蟹を食べに行く仲になったものの、こちらも生まれながらに刻み込まれた麻衣子の堅物ぶりが直るとも思えない。薬局はクビになって今は倉庫番となり、段ボールを重ねて並べて悦に入る勇輝に舞い込む新たな任務に引っ張り出され、辟易としつつも共に行動をしながら、今度は何を食べようと願っては果たせず、落ち込みなおかつ勇輝に堅物ぶりをからかわれ、地団駄を踏む可愛らしい姿を見せてくれたら嬉しいのだが。


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