灯籠

 そこは、とても居心地のいい場所だけれど。

 うえむらちかの「灯籠」(ハヤカワ文庫JA、720円)に出てくる山中と屋上という2つの場所と、そこに囚われた少女たちの物語から浮かぶのは、留まって、安閑とさせられる空気の中を、永久にたゆたうべきか、それとも歩を進めて、瓦礫で敷き詰められたような現実でも、傷つきながら渡っていくべきか、という迷いの心だ。

 交通事故で、いっしょに車に乗っていた父と母を同時に亡くし、自分だけ生き残った灯という少女。夏になって、山中にある父と母の墓に、盆灯籠を供えに行こうとすると、「落とし物をみなかった」という声が聞こえてきた。見ると木の根本に男性がひとり、へたりこんでいた。

 具合が悪そうな男が気になった灯が近寄ると、彼は灯が手にした盆灯籠に手を伸ばしてきた。「コノヒトハキケン」。そんな不安を感じた灯は、盆灯籠を忘れて逃げだし、それでもやっぱり気になって、翌日同じ場所にいくと、男はまだいて盆灯籠も残っていて、灯は無事に、父と母の墓にそれを供えることができた。

 そして始まった、当時はまだ幼かった少女と、大人の男との交流は、その夏を共に遊び、そして翌年も翌々年もその次の年も、同じ場所で続いていく。灯はやがて大きくなり、高校生になるけれど、男は最初に出合った時のままだった。

 「夏目友人帳」で知られる緑川ゆきの漫画で、長編アニメーション映画にもなった「蛍火の杜へ」とも重なるイントロダクション。ただし、やがて訪れる決然とした離別が心に響いた「蛍火の杜へ」とは少し違って、「灯籠」からは居場所を持たない少女の絶望の感情が、じわじわと滲み始める。

 進学した高校で、灯は清水クンというハーフの少年と知り合い、口をきくようになる。それでも他の生徒とはあまりなじまないまま日々を過ごし、夏になれば山へと通って正造という名だと分かった男と過ごす繰り返し。そんなある日、灯が学校で受けた仕打ちを見かねた清水クンに誘われ、訪れた彼の実家の病院で、古い古い写真を見つけて灯は正造の正体を確信する。

 最初に出合った時に灯が正造に感じた、「コノヒトハキケン」という警鐘は間違いではなかった。けれども逃げ出すことはせず、灯は正造のかたわらに居場所を求め続ける。現実の世界で浴びせられる、突き刺さるような感情を避けて殻にこもり、山にこもって現実に背を向ける。

 「あんたの行くその先に、未来なんて……ないんよ」。そう清水クンから言われても、現実を振り切って山へと向かった灯を、誰がいったい責められよう。他人には推し量れない心の揺れがそこにはあった。他人が踏み込んで引き剥がすことは不可能だった。清水クンでも。そして正造ですら。

 そんな灯を描いた第一話の「灯籠」に続く、第二話の「ララバイ」という物語は、大人になった清水クンの側から、あの頃のことが回想される。彼自身、出生に隠された秘密を想像して悩み、灯と同じように居場所に迷い惑っていた。2人が言葉をかわすようになったのも、そんな共通する雰囲気が、互いを近づけさせたからなのかも知れない。

 灯と違って清水クンは、山に入って現実から逃げるようなことはしなかった。ひとり上がった屋上で、ショーコという不思議な少女と出会って、そこに居場所を見つけながらも、学校を卒業して都会で学び、教師となって母校へと戻ってきて、屋上にずっと囚われたままのショーコと言葉をかわして、どこかへ行ってしまった灯のことを思う。

 灯とショーコ。きっと彼女たちにとって、居心地の良い場所に囚われ続ける2人の姿と、囚われようとして踏み出せず、迷い惑う清水クンのどちらが幸福なのだろう。この厳しい現実を噛みしめながら、未来を今としながら生き続けるべきなのか。悲しい現実からは遠く離れて、過去を今とするように漂い続けるべきなのか。

 人は、自分は、いったいどちらへの扉を開こうとするのだろうか。その時々の気持にも左右されそうで、今を占うような役割を果たしてくれそうな、そんな物語だ。


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