とっぴんぱらりの風太郎

 無用とされるより必要とされて生きていきたい。雁字搦めに縛られるより自由に選んで生きていきたい。それが人間というものだけれど、世の中はそうはうまくは回らない。たいていは何かの歯車になったように、他の誰でも構わないような業務を仕事を黙々とこなして日々の糧を得ているし、そんな日々を嫌だと言って逃げだし自由になれば、今度は糧を得られなくなってのたれ死ぬ。

 だから、無用とされても雁字搦めに縛られても、それを甘んじて受け入れるしかないのだといった諦めに身もだえし、打ちひしがれて今を生きている少なくない人たちの心をウキウキとさせ、ウズウズとさせる物語が出た。それが万城目学の「とっぴんぱらりの風太郎」(文藝春秋、1900円)。746ページととてつもない分厚さながらも、これは自分のための物語だと感じ、こういう風に生きたいと思いながら、クライマックスへと読み進んでしまうだろう。

 時は太閤秀吉の治世も関ヶ原の戦いも過去となった慶長年間。伊賀の里に風太郎という名の忍者がいた。柘植屋敷と呼ばれていた養成所での訓練を事情もあって切り上げた風太郎は、これからどういう仕事をさせてもらえるかを決める試験を受けることになる。パートナーとなったのが海外から帰ってきたという珍しい経歴を持った黒弓という若い忍者。2人で当主が住む城に忍びこむ。

 屋根の上で待ち伏せていた、同じ柘植屋敷で鍛えられた蝉左右衛門という忍者を相手に戦いを繰り広げ、どうにかしのいで試験に合格したかに見えた風太郎。ところが、脚を折れば不要と斬り捨てられる柘植屋敷での恐怖と背中合わせの日々を知らず、屈託も畏れも抱かない陽気な性格の黒弓が、仕事に必要ならっきょをにんにくで代用しようとしたことが原因となってちょっとした間違いを風太郎に犯させてしまう。

 当然のように問題となって、風太郎は忍者として登用されるどころか、黒弓とともに忍者の里を追い出される。京の片隅にあばら屋を借りてその日暮らしの怠惰な日々を送り始める風太郎に浮かぶのは「こんなはずじゃなかった」という怨嗟。黒弓がしくじってにんにくなんか持って来なければ、ちゃんと忍者として採用されたかもしれないという思いが風太郎につきまとって離れない。

 自分にはちゃんとした実力はあるのにそれを認めてもらえないとか、実力を本気で発揮する機会を与えてもらえないといった、誰かに責任を押しつけるような気持ちを捨てきれないで生きている風太郎には、時代が悪いとか社会が悪いと言って、自分自身の責任を見ようとしない現代の人たちと、ちょっと通じる部分がある。いわゆるニート的心理といったもの。風太郎も慶長のニートとして、いつか許しが出て伊賀に帰参できるかもしれないという淡い期待を抱きながら、あばら屋に引きこもるように暮らしをしていた、そんなある日。

 商人として成功したのか羽振りの良さそうな黒弓が訪ねてきて、伊賀につながりがある男から頼まれたと言って、風太郎にひょうたんを清水にあるひょうたん屋へ届けにいって欲しいと持ちかけてくる。自分に声がかかったということは、もしかしたらいよいよ再起がかなうのか? 忍者として華々しい活躍を始められるのか? 違っていた。憐憫をかけられただけだった。そして風太郎は、ひょうたんを育てて運ぶ農夫のような仕事に勤しむことになった。

 そしてひょうたんの声を聞く。頼み事をされる。ある種の怪異。どうして自分がそんな目にと訝り嫌がる風太郎だったけれど、不思議な声に半ば導かれ、巡らされる策謀に絡め取られるように、風太郎はとてつもない騒動の中へと己の身を飛び込ませていく。

 自分は何のために生きているのか? それは、誰もが人生に1度ならず2度ならず永遠普遍に抱き続ける心境だ。誰かの手のひらの上を転がされているだけかもしれない人生に気づいて、やりきれなさに逃げ出したくなることもあったりするし、生きたところで誰に何か認めてもらえる訳でもないからと、投げやりになってしまうこともある。

 自分は自分だと割り切れれば良いのだけれど、そうもいかない人生にひとつ、芯を通すとしたらそれは、誰かに認めてもらうことだろう。あるいは知ってもらえることだろう。それがかなう出会いを経て風太郎は、契約でもない自分の意志によって誰かのために動こうとした。

 風太郎の仇敵ともいえそうな蝉左右衛門も、忍者が徳川の世になって用済みとなり、伊賀で門番に甘んじて生きていくしかなさそうな自分を、人間として認めもらって奮起した。商人として成功していた黒弓も、持てる美貌で大阪城の奧に潜入している常世も、やっぱり生きる意味を感じさせてもらい立ち上がった。信頼を得よう。目標を持とう。そう人生に必要なことを教える物語。現実の人生でなかなかそうした出会いも機会も得られないなら、物語の中から自分に何が足りないかを感じ取ろう。

 生き方に文句ばかりいっていた風太郎が、巻きこまれ踊らされて嘆くどこか穏やかでコミカルな展開が、中盤に出てくる大坂冬の陣あたりからぐっとシリアスになり、命の重さといったものが語られ胸を刺す。クライマックスに至って「大坂夏の陣」を舞台にスピーディーでスリリングなバトルも繰り出されて、手に汗握る展開を味わわせてくれる。その後に描かれるそれは、もしかするとあれにつながるのか? といった想像も。万城目ワールドのピースがひとつ埋められた。

 最期でも風太郎は「こんなはずじゃなかった」と言う。けれどもその言葉には、焦りも後悔もすでにないように感じられる。半ば苦笑するかのように己がおかれた状況を省みて、これで良かったと内心に覚えているように見える。あれだけ世界を妬んで風太郎が、自分を偽っていた風太郎が、ひとつの真理に辿り着くまでに何があったのか? 読み終えてまた読み返しながら、「こんなはずじゃなかった」と言い続けないためのヒントを探っていこう。


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