殿がくる! 京都は燃えているか

 遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴くものだし、香爐峰の雪は簾をかかげて看るものだ。ならば京都北山鹿苑寺にある「金閣」は、修学旅行よろしく庭から遠巻きにしての金色に輝く偉容を見るべきものなのかというと、実は全然そうではない。

 ならば間近で顔の影が輝く金箔に映るくらいの距離で見るものかちうと、これもやっぱりまるで違う。正解は、3階に上がり込んでは勾欄より庭をながめること。そもそもが足利義満によって作られた別荘が金閣。望楼であってそこから池を、島を、木々を、庭をながめるものであって、権勢をアピールするべく金で塗られても、それ事態を見て楽しむものではなかった。

 もっともだからといって、京都に行って北山は鹿苑寺に見物に寄り、金閣にあがり込んで庭を見下ろし絶景かなとできるかというと、ひとりではちょっと難しい。燃えてしまって再建されたレプリカとは言え国民的な文化財。そこに上がり込むには余程のお墨付きが必要だ。たとえば内閣総理大臣とか。あるいは織田信長とか。

 そう。織田信長だったら時の将軍足利義満の権勢すら超えたカリスマ性でもって、金閣を我が物としたって違和感はない。事実、福田政雄の「殿がくる! 京都は燃えているか」(集英社スーパーダッシュ文庫、552円)で信長は、現代の金閣に現れ係員の制止を振り切っては3階へと上がり、庭をながめて風景を堪能する。

 あまつさえ係員は信長が混じっていた修学旅行の集団を全員、3階へと上げては庭を見下ろす時間をあたえる大盤振る舞い。信長の迫力に押された? 脅され仕方なく通した? 否。信長の破天荒に見えてその実合理的な発想に感化され、金閣の本来の意味に気付かされたのだろう。

 なぜ現代に織田信長が? というのは前作「殿がくる!」(集英社スーパーダッシュ文庫、629円)を読んでおくこと。故あって400年の昔から現代の日本にタイムスリップしては丹羽長秀の子孫という主人公の少年・新一郎にやっかいになりつつ、持ち前のカリスマ性と行動力と決断力と体力を発揮し、国を外国に売ろうとした首相を倒す大暴れをみせたエピソードが綴られたその前作で、過去へと帰ったはずの織田信長が、今度は小姓の森蘭丸を伴い現代へと”帰って“来てからが、「殿がくる! 京都は燃えているか?」でつづられる。

 京都と言えば信長にとっては上洛して権勢を固めた地でありまた、明智光秀の謀叛によって本能寺で最期を迎えた因縁の土地。けれどもそれ以上に重要なのは信長が京都の庶民を、僧侶を迫害し弾圧し攻撃した過去を持つことで、先の戦争を応仁の乱まで遡るらしい京都の人にとって信長は、歴史的な偉人ではなく歴とした犯罪者。それが現代に復帰し主人公の修学旅行に付き添って、京都へとやって来たものだからたまらない。

 まずは僧侶たちが立ち上がって京都駅に大集合しては経文を読んで信長に退散を迫る。そして金閣でも若い男が率いる集団に因縁をつけられこれを撃退。それが信長を追われる身へと追い込むことになる事件へと発展してしまう。かといって場所は京都。頼って逃げ込もうにも市民のほとんどが敵という土地で、けれども信長は相変わらずの鷹揚さを保っては自分を追い込んだのは誰でどんな目的があるのかを探り出す。

 仲間たちを信じ自分を信じる信長の、芯の通った姿に感銘を覚えて信長を憎んで憎み斬っていた京女も信長親派になっていく。事件も破天荒な信長のパフォーマンスを経て解決へと向かい、スーパースターとしての地歩を固めつつあるように見える展開。ある意味他力本願なスター願望へと結晶していくストーリーに見えて、実はそうではないところが「殿がくる!」のシリーズでは重要だ。

 そのままアピールし続ければ総理大臣の地位も夢ではない信長。最初の頃はそうした狙いもあったようだが今は違う。自分がトップに立ったり自分で世界を買えようとはしない。自分は過去に死んだ人間である。未来を拓くのは若い人たちである。そういう信念で心を固め、表には立たず”敵”の誘いも一蹴する。

 過去にすがるのは楽だし安易。けれどもそれでは成長はない。成長するためには現代の人たちが現代の知恵で、行動力で未来を切り開くべきなのだというメッセージが、浮かび上がってスーパースターを、メシアをキリストをいたずらに待ち望む人たちへの警鐘を鳴らす。あふれる才能の中で全能感に浸るよりもはるかにシリアスで真摯な環境で、頑張り抜く覚悟を教えられる。

 とはいえやっぱりスーパースターであるこには代わりのない織田信長。いずれ天下府武のスピリッツを呼び起こさないとも限らない。次に起こる事件が信長の自立心を高めてしまうかもしれない。そんな状況下で主人公の新一郎が、信長のいたずらな暴走を抑えて来た純真さをどう発揮してくれるのか。それが信長のみならず世知辛い世に生きる現代の人たちにどんな勇気をもたらしてくれるのか。気になるし気にすべき事柄の、答えを期して待とう。


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