東京自転車少女。1

 平針からいりなかまで自転車で走って40分くらいか。塩釜口から八事へと向かう街道が坂道になっていて、上るのが大変だったけれど、そこを越えればあとはゆるやかな下りとなって、横に隼人池を見てたどりついた三洋堂書店で、平針にはあまり売っていない漫画を探し、近所の古書店でSFの文庫を探していた、高校生の頃。

 古本といえばさらに脚を伸ばした上前津や鶴舞に、より多くの店が集まっていて、いりなかから川名や御器所を越えて走って1時間ほど。着いたあたりで自転車を縛り付け、何件もの古本屋を回ってSFの文庫や新書を探し、漫画を集めてリュックにつめて平針へと戻っていった、高校生の頃。

 そんなに使えるお金はなく、電車賃すらもったいなかった時代に、自転車は移動の手段としてベストというより、他に選択肢のないかけがえのないものだった。一所懸命に漕いでさえいれば確実に到着する利便性。なおかつかかるお金は途中で補給する缶コーヒー1本分くらい。なにより路線を気にせずどこにでも行けて、途中で新たな発見ができるところも、自転車を使って移動する楽しみだった。

 インターネットなんてまだなかった時代。古書店を探すのも鶴舞あたりにある老舗の店においてあるガイドブックをもらい、それを頼りにあちらこちらを回るのが唯一の手段だった。あるいは勝手に走り回っている中から、ふと見つけた店にたくさんのSFの文庫本が置いてあって、そこに毎週末に通っては1冊、また1冊と買いそろえていくのが、新刊に手が出ない高校生の本を手に入れる、数少ない手段だった。

 自転車があったからSFをたくさん読めた。天白図書館まで走っていって借りて読んで返してまた借りて帰ることもした。時間を気にせず学校の下にある緑図書館でSFを読んで自転車で帰ることもした。そうやって読んだことが今、SFのとてつもない隅っこにいられる理由になっているのだとしたら、すべては自転車があったからこそ。とても脚を向けて寝られない。

 格好いい自転車ではなかった。ジュニアスポーツに無理矢理ランドナーバーをつけ、サドルを上げ、どろよけを取り外してギドネットレバーをつけたインチキ仕様の自転車だった。5段変速で全然スポーティーではないけれど、それでも踏めばちゃんと走って、どこにでも連れて行ってくれた。大学に入って駅に乗っていって置いていたら、盗まれてしまい今は何処の空の下。捨てるとか、壊すといった別れを経ていない分、残る思いも大きい。

 スタイリッシュじゃなくたって、オシャレじゃなくなって、自転車には良さがあり、楽しさがある。そのことを、わだぺん。が島から東京へとやって来て、颯爽とスポーティーな自転車に乗る少女に憧れる少女を主人公に描いた「東京自転車少女。1」(アース・スター エンターテイメント、595円)のその主人公、島野いるかには、早く気づいて欲しいと思う。

 東京で目に入った、ロードレーサーを駆って走る加藤さんという少女が、とてもオシャレで格好良い“東京ガール”の典型に見えて、つきまとって迷惑がられ、それでもめげずに仲良くなろうとして逃げられ、入学した高校の寮にいったら、その加藤さんがルームメイトとしてやって来た。これぞ機縁。そう思ったもののむこうはクールを気取って、島野いるかとはなじんでくれない。

 それでも憧れの“東京ガール”になりたい、それには格好いい自転車に乗りたいと考えいるかは、近所にある自転車店を訪ねたものの、値段を見て買えないと諦めかけたところに、やって来た陽気な少女から、乗っているママチャリでも、パーツをだんだんと変えていくことで、最後はフレームを変えて、オシャレな自転車になると言われ、その気になってまずはサドルを替えたいと言い出した。

 それは極細のロード用のサドル。座ればおしりに刺さるようなサドルを知りもしないでママチャリにつける行為は、それだけおしゃれな自転車への憧れが真剣だとも言えるけれど、何か肝心なことを見失っているような印象を受ける。どうして自転車に乗るのか。格好良く自分を見せたいからなのか。それとも何かと出合いたいからなのか。

  学校が始まって、サドルを買ってくれた先輩と再会し、誘われ自転車天使部と名乗る自転車部に入ることになって、加藤さんも誘って出かけた、練馬界隈をめぐる自転車での街乗りのエピソード。乗っているのがオシャレでスタイリッシュな自転車か、ただのママチャリかは関係なしに、どこに行って何を見て、どう感じたのかた綴られる。

 路線なんか気にしないで、狭い路地でも入っていける自転車ならではの旅。まるで知らなかった風景と出合い、まるで関心のなかった事柄を知って興味を抱き、そして共にめぐることによって気持ちが通い合う。格好いい自転車に乗っている自分をひけらかすような感情ではなく、便利で楽しい自転車に乗ったことで得られたものへの喜びが浮かび上がって、自転車という存在への興味をかきたてる。

 最初はどんなものだっていい。あるいはずっとそのままでだっていいかもしれない。何に乗るか、ではなくどう乗るか。それが自転車との大切な接し方なんだと教えてくれる。そうやって自転車そのものの深みを知った上で、もしもそれでは不便だと思えたなら、お金に余裕ができて少しだけ着飾ってみたいと思えたなら、その時にオシャレな自転車に乗り換えればいいのだ。

 そうやって自転車の楽しみを知った島野いるかが、まだスタイリッシュな自転車を駆り、クールに振る舞う“東京ガール”になりたいと考えているのかは分からない。そんな典型ともいえる加藤さんが、たったひとりで移動の手段として自転車を駆り、周囲を見ようとしない今から変わっていくかも分からない。

 それでも、自転車に乗って大勢でめぐった楽しさは、いるかの心にも加藤さんの心にも強く刻み込まれたはず。その気持ちさえあれば、いるかが何に乗ることになっても、それをひけらかすことにはならないし、加藤さんも孤高から少し踏み出して、移動の道具ではない自転車の良さを味わおうとするはず。そうなった時、彼女たちを通して見える東京の風景は、いったいどれほど素晴らしいものになるのだろう。

 それを自分でも味わうために、今、とても自転車が欲しいと思っている。


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