チンドン 聞き書きちんどん屋物語

 チンチンと鉦を鳴らし、ドンドンと太鼓を叩いて街を練り歩く。だからちんどん屋と呼ばれているということくらいは誰だって知っているし、知らなくても雰囲気を見ればほかに呼びようがないと感じる。

 でも、明治大正のころにはちんどん屋という名前はなく、東西屋とかひろめやといった名で呼ばれていたと知ったらやっぱり驚くか。

 ちなみに東西屋というのは、例の呼び声「とざいとーざい」から来たもので、ひろめやというのはお披露目からではなく、明治に出来た代理宣伝会社の「広目屋」から来たものだとか。

 どちらも一理ある名前だけれど、それよりもやっぱりちんどん屋という名前の方が、見た目に雰囲気からもぴったり来るから、昭和に入って定着してしまったのも仕方がない。

 そんな名前についての歴史だけでなく、ちんどん屋については知られていないことが実はとてもたくさんある。そもそも未だにちんどん屋が東京には20組くらいいるなんて、どれくらいの人が知っている? 年に1回富山で全日本チンドンコンクールなるものが開かれていて、今年も4月に開催されると知ったら、もっと驚く人もいるだろう。

 静岡で秋に開かれている大道芸フェスティバルは知っていても、チンドンコンクールはさすがに知らない。どんなことをやっているんだろう? そう思う人も多そう。素人のちんどん屋コンクールも開かれると聞けば、出てみたいと思う人だっていそうだ。

 もっとも、未だにチンドン屋なんて必要なの? というのが普通の人が抱きそうな心情だろう。街中を見渡せば、テレビモニターに映像を流すデジタルサイネージが普及して、あちらこちらで動く広告を発信してる。最近は走る山手線の電車にテレビが付いていて、テレビCMを流しているから驚きだ。

 動き回る人にだって、位置情報を参考にして携帯電話からダイレクトに近隣の商店の広告を伝えることができる。そんな時代に、ごくごく狭い範囲でそんなに長くはない時間(人間だから活動限界があるのだ)しか稼働できないちんどん屋に、価値なんてあるのと思われて当然だろう。

 けれども、ちんどん屋はしぶとく生き残っては、街頭に明るい音楽と賑やかな口上を運んでいる。それはなぜ?

 1992年に歌謡ロックバンドのボーカリストからちんどん屋になりたいと師匠を見つけて弟子入りし、現場を踏んで今はフリーの立場で活動する大場ひろみが聞き書きした「チンドン 聞き書きちんどん屋物語」(バジリコ、2400円)という本を読めば、チンドン屋が持っている、というよりもチンドン屋だからこそ放てる魅力があるのだということが見えてくる。

 掲載されているのは、盛期をちんどんに生きた親方たちへのインタビュー。厳しい修行の時代もあったし、大変な営業の日々もあったけれど、誰かを喜ばせる日々の楽しさ、何よりちんどん屋だからこそ出来る、音楽と口上で衆目を引きつける喜びというものがそこにあった。

 そうした雰囲気を、親方たちへのインタビューから感じ取れば、ちんどん屋が廃れるどころかプロのミュージシャンすら引き込んで、今もどんどんと輪を広げている理由も分かろうというもの。伝説のバンド「じゃがたらに」にも参加していたサックスプレーヤーが、ちんどん屋になり音楽でちんどんの世界を引っ張っていたとは、状況を知らない人に新鮮な驚きをもたらしそう。

 もちろん、ネットやテレビに比べれば、情報を伝えられられる範囲は狭いかもしれないけれど、その場で目にした人について、は強い印象を深い思い出と共に与えられる。リアルでダイレクトなコミュニケーションを、サウンドとパフォーマンスによって伝えるちんどん屋ならではの影響力だ。

 垂れ流されるだけの映像や、掲げられている文字からはそういったものは感じられない。だからこそちんどん屋が今も求められるし、むしろ必要とされているのだ。

 掲載された親方たちの古い写真からこんな時代もあった、こんな風俗もあったと懐かしさに浸っても悪くはない。充実した辞典からちんどん屋についての深い知識を得るだけでも十分に意義がある。けれども、先人たちの生き様に感じる何かがあったなら、ちんどん屋の道に進んで富山のコンクールに出場して、全国1位を狙ってみるのも人生にとって相当に面白そうな挑戦だ。

 やってみるかい、ちんどん屋。


積ん読パラダイスへ戻る