THE THIRDMAN FACTOR
奇跡の生還へ導く人 極限状態の「サードマン」現象

 “小人さん伝説”というものがあって、〆切まであと1時間を切った原稿は未だ真っ白で、おまけに徹夜続きで意識も朦朧。そのまま眠ってしまって、ハッと気がつくと、原稿はしっかり完成していた。

 これは、眠っている間に小人さんが片づけてくれたんだという、半ば願望も込めて語られる一種の笑い話だけれども、現実をシリアスに見つめれば、小人でもアリエッティでもコロボックルでもスプーンおばさんでも、小さい何者かが現れ、仕事を片づけてくれる、なんてことは絶対にない。

 あったとしてもそれは、朦朧とした意識の中で自分自身がやったこと。それゆえに完成していると喜んで、よくよく見直すと文章だったら誤字脱字がいっぱいだったり、意味不明なところ多数。書類だったら計算間違いがいっぱいで、漫画だったら左手で描いた方がまだ巧かったりする。そんなものだ。

 こういった無意識下での“小人さん”による自分への叱咤激励は、日常の中で起こったのなら冗談めかした話で収まるが、極寒のヒマラヤやひとりぼっちの大西洋上で現れる“小人さん”は、人の生死を左右する重大な役割を担っている。

 2001年9月11日に起こった世界同時多発テロで、旅客機に突っ込まれたニューヨークにあるワールドトレードセンターから、最後に脱出した1人は、煙が立ちこめ、瓦礫に阻まれた階段を下りられず、もうダメだと諦めかけた時、かたわらから聞こえた声に従い、突き進んで命を拾った。

 魔の山と呼ばれ、幾多の登山者を飲み込んできたヒマラヤのナンガパルバットに、人類として初めて登頂したヘルマン・ブールを励ました声。アメリカ大陸からヨーロッパ大陸へと、人類として初めて単独で飛行したチャールズ・リンドバーグを支えた声。宇宙に海洋に南極等々。命すら危険にさらす苛烈な環境に陥った時、人にはどうやら自分を奮い立たせる声を聞く能力がが備わっているらしい。

 ジョン・ガイガーによる「奇跡の生還へ導く人 極限状況の『サードマン現象』」(伊豆原弓訳、新潮社、1800円)によれば、それは“小人さん“ならぬ「サードマン」なのだという。

 昔だったら神の声、天啓として受け止められ、聞いた人は神の代弁者と呼ばれたかもしれない。あるいは実際に、教祖なり開祖と呼ばれる人たちの幾人かは、極限状態から生還した強さを認められ、その時に聞いたサードマンの声を天啓と思われ、祭りあげられたのかもしれない。

 それは現在でも十分に起こり得る事態だけれど、「奇跡の生還者」ではそうした現象が起こる理由を脳に求め、人間の心理に求めて科学的に解明しようとしている。窮地からの帰還は確かにある種の奇跡だけれど、そんなサードマン現象を、超常現象として受け止めるのではなく、人が潜在的に持つ力の大きさ、奥深さを示すものとして、見つめる意味がありそうだ。

 そしてもうひとつ。サードマンは出現しても、必ず救ってくれるというものではないらしい。遭難した人物が残した日記の中に、窮地に陥った時に聞いた声で助かったという記述が残されていたことがある。直後に書き手は再び窮地へと向かい、命を落とす。サードマンは万全ではなく、奇跡でもないということがここから分かる。

 つまるところ、サードマンは自分自身に過ぎない。その声を聞いても、己が奮い立たなければそこで終わり。あるいは声を無視して無茶をしても、やっぱり終わってしまう。自分が成せる最大限のことをした時にのみ、サードマンは微笑むのだ。

 だからもし、〆切に苦しんだとして、そこで机に突っ伏すくらいに頑張ることだけは貫こう。もしも頑張ることをせず、“小人さん”がやってくれるからと原稿を放り出し、外に遊びに行ったとしたら、“小人さん”は絶対に現れず、原稿は真っ白のままだから、そのつもりで。


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