超鉄大帝テスラ

 圧倒的。そんな言葉でもって形容できる漫画家に、80年代を通じて幾人か出逢った。たとえば大友克洋。すでに評判は漏れ聞いていたその圧倒的な画力に「童夢」で初めてまみえた時、児戯だとしか漫画のことを思っていない世間に向かって漫画の画としての素晴らしさを、これで正しく主張できると嬉しく思った。

 あるいは細野不二彦。画としての緻密さを維持しつつ、ギャグとしても高い完成度を持つ漫画を見せてくれた。島本和彦も同様。ほとばしる熱気が躍動する絵と爆裂するセリフから立ち上って読む身を熱く燃えさせた。安永航一郎。藤原カムイ。荒木飛呂彦。絵であったり、ギャグであったりセリフといったさまざまな要素が、ページを開く目を引き心を躍らせ気持ちを激しく圧倒した。今も圧倒し続けてくれている。

 だからただ1人、この身をもっとも圧倒してくれた漫画家を挙げろと聞かれると正直答えに窮する。ほかにも並べれば再現のないほどに絵であったりギャグであったり物語であったり人格といった部分で世の中を圧倒した漫画家は数多くいる。「たわば」「あべし」の原哲夫しかり。「人生、負けてしまったら負けだぞ」のゆうきまさみしかり。けれども敢えて言うなら、この人をおいて「圧倒的」なる形容を最も体現している漫画家はいない。

 大野安之。時におおのやすゆきとも名乗っていたこの漫画家が繰り出すダイナミックな絵、傍若無人なキャラクター、前代未聞のセリフの数々にどれほど時を忘れて浸り入ったものか。どれほど居場所を忘れて笑い転げたことか。どれほど虚構を忘れて惚れ込んだことか。絵も、話もキャラクターもギャグも、どれをとっても圧倒的。そう。圧倒的とは大野安之のためにある言葉なのだ。

 残念なことに今、大野安之が放つその「圧倒的」さに触れられる機会は少ない。あの名作にして傑作にして代表作「That’s イズミコ」を新刊で読むことが出来ない。傍若無人なマッドサイエンティストの時空も常識もぶち破った活躍ぶりに触れることが適わない。その他の単行本も果たしてどれほどが今も刷られ本屋で売られていることか。「圧倒的」さが反作用のごとくその身を圧倒してしまい、俗世間から遠く離れた場所へと追いやってしまったのかもしれない。

 だとしたら俗世間とは、何と強固で頑迷なのだろうか。そんな俗世間にもはや大野安之の居場所はないのだろうか。そんなことはない。頑迷にして強固な俗世間の常識も、優れて目の肥えた存在の熱意によって打ち破られようとしている。編集者として数々の漫画家たちを80年代の世に送り出した大塚英志の極端なまでにストレートな想いが、80年代どころか世紀を越えて読み嗣がれる漫画家として大野安之を甦らせた。

 アスキーから上巻のみ刊行されたものの続きが出ず、悪く言えば闇へと葬られようとしていた「超鉄大帝テスラ」が、下巻も加えた形で角川書店から一気に刊行となった。その冒頭、1ページでも開けば大野安之の何が圧倒的なのかを万人は納得できるだろう。尖塔の上。太い描線の様式に優れた構図に配置されたキャラクターが、夜空に向かって両手を掲げ、叫び求め訴える。「このエヂソンの理想をはばむもの!」「それは!!」「宿敵ニコラ・ステラ!!!」。

 そして本編。「パアン」と警笛を鳴らして走る流線型の機関車をバックに、麗しき美少女が内面の心の躍動を隠さず、好奇心にあふれた表情を見せながら喧噪に満ちた都会を闊歩する。そして一文字緋色という名のその少女はが、気持ちの赴くままに近寄った機関車「あじあ号」の傍らで、自分とそっくりの顔を持つスカーレット・テスラという名の少女と出逢った所から、人類全体を巻き込む戦いへと続く物語は幕を開ける。

 時はおそらく1900年代半ば。所は中国北部に樹立された満州共和国では、隣の洋上に浮かぶ日本列島を治める帝国からの干渉を受けながらも、その干渉を跳ね返そうとする勢力が勃興していた。彼らは偉大な科学者にして発明家だったニコラ・テスラの力を得て、帝国と戦うための武器を手に入れていた。機関車の「あじあ号」もそのひとつ。「あじあ号」は巨大な人型のオートマン(自動機械)へと変形することができるのだった。

 本当だったらニコラ・テスラの孫娘、スカーレット・ステラの命令によってしか変形しない自動機械。なのに満州共和国の皇太子との結婚が嫌で仕方がなかったスカーレットの計画で、引きずり込まれただけの緋色にも自動機械の操縦が出来てしまたっところから、物語は2人のそっくりな少女をめぐる過去から現在、未来へとつながる大河ストーリーへと発展する。それは人類の存亡がかかった、”帝国”を名乗る存在との決して一筋縄では行かない戦の始まりだった。

 ”帝国”の名代めいた立場で緋色やスカーレットたちと対立する美しい女性、リラダン卿。その卿が預かる6人の自動人形の少年たちも、当然ながら最初のうちはスカーレットや緋色を敵と認めて戦いを挑む。けれども”帝国”なる存在のいささか奇妙な実態が明らかになるにつれ、リラダン卿の真の狙いが浮かび上がり、6人の時に少女でもある美しい少年たちの真の姿、スカーレットや緋色の真の力が明かとなって、病みつつある世界を救う崇高な使命を負った人類の代表選手たちに、惜しみないエールを贈りたくなって来る。

 巨大な自動人形たちの迫力たっぷりの戦闘シーン。6人の少年たちやスカーレット&緋色と共闘する少女たちのスピード感あふれるバトルシーン。いずれをとっても画としての凄みが伝わって来る。それでいて人類の未来を考えさせる奥深い設定。脳天気なスカーレットに好奇心あふれる緋色のキャラクター。描き込まれた背景。他に類を見ない有機的な魔人のフォルム。どれをとっても漫画としての圧倒ぶりを物語っている。

 一文字緋色とスカーレットの出生の秘密が分かり、帝国の正体が分かり倒すべき敵の顔が分かった瞬間に、物語は再びの中断へと至る。東海の洋上に浮かぶ帝国のおそるべき実態その真実、帝国に挑もうとするスカーレットに緋色に6人の少年であり少女でもある健気な人形たちに満州共和国の仲間たちの行く末等々、語られるべきエピソードは枚挙に暇がない。にも関わらず、せっかくの復刊を遂げたにも関わらず、「超鉄大帝テスラ」は再びの休息へと至る。巻末に描かれた「未刊」の文字がただただ哀しい。そして悔しい。

 吉本ばななをして「ガッツを出します」と言わせた画と物語。大塚英志をして「闇に葬られちゃうのは死ぬほど悔しい」と語らせ復刊の道へと至らせた、文字どおり掛け値なしの「圧倒的」な漫画がこのまま終わっていい筈がない。

 だから言いたい。今すぐが無理なら21世紀のいつでも良い。原型を止めないまでに変えられてしまった”帝国”の支配する日本列島で、スカーレットと緋色と少年たち、少女たちがどんな戦いを繰り広げるのか。そしてそもそも”帝国”とはいったい何なのかが、その圧倒的な画力と構成力とキャラクター力、セリフ力で語られる人が来ることを切実に願う。


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