たたかう! ニュースキャスター

 昭和35年、東京の日比谷公会堂で演説中だった時の社会党委員長、浅沼稲次郎が右翼の少年に刺殺されるという事件が起こった瞬間を撮影した写真が、翌年の「ピューリッツアー賞」を受賞したことについて、当時あれやこれやと議論が起こったらしい。ようするに、写真を撮っている時間があったら、どうして犯人を取り押さえなかったのか、といったカメラマンの責任を問うもので、報道と対象との関係を考える上での、ひとつのケースになっているようだ。

 委員長から離れた場所で撮っているから、取り押さえるなんて無理だったんじゃないかと想像はできるけれど、だったらカメラを投げればいいじゃないかといった意見も確か出たそうで、カメラマンに命よりも大切なカメラを投げろとは無茶だろうとは思うものの、それでも人命よりカメラが大事か、功名心が公共心を上回るのかと問われると、結構答えに詰まる。

 もっとわかりやすい例が、昭和60年の「豊田商事永野会長刺殺事件」。金地金を運用するといって老人からお金を預かり、実は運用はせずかといって期限が来ても返還には応ぜず、そのままだまし取ってしまうという一種の詐欺商法で問題になっていた豊田商事という会社があって、社会問題化し刑事事件にもなっていた。

 その日、会長の永野一男がひとりマンションに立てこもって、玄関前を報道陣やガードマンが取り囲んでいたところに、2人組の男がやって来て、永野を出せと要求した。ガードマンがはずしたすきに、2人は報道陣の見守る中をドアを蹴り玄関脇の格子を破って窓を割り、部屋の中へと侵入して永野会長を刺殺してしまった。騒いでいた2人に殺意が感じられたかどうかはともかく、明らかに住居不法侵入に器物損壊の罪を犯している2人を、ただ見守っていた挙げ句に殺人を許してしまった報道陣には、当然のように非難が集中した。

 後に逮捕された2人組のうちの1人は、殺人におよんでしまった背景には、集まっていた報道陣の教唆があったと主張したそうで、よくもまあ言ったものだとは思うけれど、劇場のようにスポットが当てられた場面で、調子に乗ってしまった可能性は否定できないし、報道陣にだっておいしい場面が撮れるだろう、ニュースになるだろうという”報道魂”と裏腹の”下心”があったのも確か。ジャーナリストの職業意識と人間としての良心を考える、これは今も重要なケースになっている。

 で、桜庭よしみ(23歳)の場合。爆弾犯人がたてこもっている銀行の支店の前に、中継リポーターとしてやって来た彼女は、当然ながらカメラに向かって現場の状況を伝えようとする。ところが聞こえて来たのが銀行の中で犯人がトカレフ(拳銃ね)の撃鉄を起こす音。つまりは誰かが撃たれようとしている訳で、ニュースキャスターとして中継を続けるべきなのか、撃たれようとしている人質を助けにいくべきなのか、よしみは迷ってしまった。

 って、どうして支店の前でリポートしているよしみに支店の中で犯人が撃鉄を起こす小さな音が聞こえたのか、でもって警察もちゅうちょしている人質の救出を、現場リポーターでしかない、新米ニュースキャスターのよしみがやらなくちゃいけないなんて考えたのか、そちらの方がまず気になる。当然気になる。ニュースキャスターがひとり飛び込んだところで何ができるはずもなく、別に行かなくたって誰からも非難は浴びないし、むしろ中継に穴をあける行為の方が、プロ意識にもとる行為だと罵倒されたって不思議はない。桜庭よしみがただのニュースキャスターだったら、という条件がつくけれど。

 つまりよしみはただのニュースキャスターではなかったのだということ。夏見正隆の「たたかう! ニュースキャスター」(朝日ソノラマ、1048円)の主人公、桜庭よしみはそのタイトルがあらわすようにまさしく”戦うニュースキャスター”、恋人の俳優と内緒でいったスキー場で遭難しかかった時、ひとり決然と(密会がバレるのがいやだという想いで)山を降りて助けを呼びに行こうとして崖から落ち、死にかかっていたところに現れた、ボランティアとして宇宙の平和を護りにやって来たイグニスという名の銀色の猫娘と融合し、無敵の力を得てしまった正真正銘の”スーパーガール”だったのだ。

 飛べばビルよりも富士山よりも高く、走れば音速なんて楽に超え、撃たれても弾なんてはじきかえし持てば飛行機だってらくらくとふりまわす能力を持った桜庭よしみにとって、遠くで鳴る撃鉄の音を聞くことだって、中継中の支店の前から支店の中へと移動して犯人をこらしめることだってちょちょいのちょい。できて当然のことだった訳で、カメラを投げられたの投げられなかったの、侵入者を静止できたのできないのといった議論は、そこではちょっと成立しない。

 だったら中継なんて放り出して当然、助けにいくのが筋ではないかと考えるのが人間の良心に照らしても正解だし、力があるのにやらなかったのが明々白々だったとしたら、浅沼刺殺、永野刺殺にも増して非難されたって不思議はない。問題は、カメラを向けているテレビ局のスタッフの誰も桜庭よしみが”スーパーガール”だとは知らないこで、従ってよしみは仕事を途中で放り出す役立たずとしかみなされず、次に逃げ出したら処分されるという瀬戸際にあって、だから行くべきか、いかざるべきかを迷っていたし、悩んでいた。

 やっぱりというか当然というか、銀行強盗の犯人取り押さえという絶好の場面を中継できなかった(当たり前だよ、当事者なんだから)よしみには戒告処分が下り、ハイジャックの起こった現場で、人質を射殺しようとしたハイジャック犯人を取り押さえに行ったことでテレビ局をやめなくてはいけない羽目になり、それでもニュースキャスターの夢捨て切れず(”スーパーガール”では食べられない、だってボランティアだから)、制作プロダクションのニュースキャスター募集に応募することになった。

 そこでもやっぱり起こるのが、ジャーナリストとしての職業意識と人間としての良心との板挟み。事件の現場で人命救助に行かず中継を続ければ、ニュースキャスターとして地位は確立できだろうし、誰も彼女の能力を知らない以上は、行かなくたって他人からは非難は浴びない。けれども、自分には人命救助ができる能力が備わっているんだ、助けられるのは自分だけなんだと知っている自分の良心には、大変な嘘をついてしまうことになる。

 良心に従うのは当然という気持ちはあるけれど、そこで割り切れないのが人間の人間たる所以。よしみが好意を寄せる俳優が、雪山で自分を助けてくれた銀色の女性(つまりは変身したよしみ)を好きになってしまい、そんな俳優をよしみの正体をただ1人知っている友人の女優が好きになってしまうという、恋の板挟みも加わって、悩める女性の心も体も大混乱する日々が描かれていく。

 面接試験の場で、ニュースキャスターという仕事への意欲と、正義の見方としての役割の板挟みにあっている体験から語る、タレントやアイドルアナウンサーがちょろっと出ていっては1日2日、手伝うだけのテレビ的なボランティアへの苦言がなかなかに手厳しい。あと「モロボシダン効果」とでも呼ぶのだろうか、いつも肝心な場面でいなくなってしまうのに、「ウルトラセブン」のモロボシダンが「ウルトラ警備隊」を首にならないのは、きっとキリヤマ隊長に付け届けをしているんだ、という解釈も楽しい。

 もっとも一応は前哨戦に参加はするし、「ウルトラ警備隊」だろうと「ウルトラセブン」だろうと怪獣を倒すという目的は同じで、結果として怪獣が倒れればその場にいなくても「モロボシダン」は文句を言われない。対していくら付け届けをしようとも、怪獣が倒れる場面を中継するという目的を果たせなければ、ニュースキャスターに存在価値はない訳で、そのあたり、歴史の証言者ではあっても歴史を作る立場にはないジャーナリストという存在の、曖昧で愚かしく悲しいけれども大いなる意義が見えてくる。

 もちろんそのジャーナリストが”スーパーマン”だったら助けにいくのは自明の理。ほら、たしかクラーク・ケントだって仕事そっちのけで悪と戦い人命を救いに世界を飛び回っている。けれどもクラーク・ケントは「デイリープラネット」をクビにならない。現場にいなくても後で記事さえ書けば新聞記者はオッケーだから。そうかなるほど、桜庭よしみは新聞記者か雑誌記者に転職した方がいいのかも。


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