たまさか人形堂物語

 家電だったら壊れたのなら処分に出しても気にならない。おもちゃだって壊れたことを幸いと、新しく出たものに買い替える。直すなんてことはしない。でも、人形となると壊れたからといってあっさりとは捨てられない。人や動物といった生き物の形をしている分、持ち主の愛着がうつりやすくて、捨てようとする心に遠慮とか、ためらいといった感情をもたらすからなのかもしれない。

 津原泰水の「たまさか人形堂物語」(文藝春秋、1429円)は、持ち主が人形たちに抱くさまざまな思いが絡んだエピソードでつづられた連作短編集だ。経営していた祖母が亡くなり、祖父もオーストラリアに隠居すると言い出して宙に浮いた零細人形店を、30代の女性で広告会社をリストラされた澪が相続する羽目になった。

 客なんて誰も来ない店。さっさと閉めて再就職しようと画策していた澪だったけど、無給でもいいから働かせてほしいとやってきた冨永くんが見せた人形修理の才能に、これはウリにできると思いつく。「諦めてしまっている人形も修理します」と宣伝したら評判に。冨永くんでは手に負えない、高価で複雑な人形も持ちこまれるようになったことから、経歴がまるで不明ながら、腕は確かな職人の師村さんも雇って、修理の仕事をこなしていた。

 その日、持ちこまれたのは見事なできばえの創作人形。頑丈なケースに大切そうに収められていたのに、なぜか顔だけが打ち砕かれていたから澪たちは驚いた。元の写真を見せてもらうと、依頼して来た女性と双子のように瓜二つ。ところが、師村さんが人形を調べると、依頼人が幼かったころに作られた人形だと分かった。実は人形は依頼人の父が母に似せて作ったもの。その人形そっくりに、依頼主は顔を整形していたらしい。

 自分そっくりの顔をどうして壊してしまったのか。どうして直そうとしているのか。ぜったいに成長せず、ずっと同じ姿であり続ける人形への、愛着とは裏腹の嫉妬のような感情が浮かび上がってくる。添い寝するティディベアの手足を、何度直してもらっても寝ている間に引きちぎってしまう少年のエピソードも絡んで、完璧な姿をした人形だけが、持ち主にとってのベストとは限らないんだとも教えられる。

 手に入れてから愛し続けた時間の重さと、そんな時間がもたらした変化が合わさって、持ち主の思い入れへと育っていく。だから人形は捨てられないし、直す方にも持ち主の思いを感じ取る心が求められるのだ。

 作者の津原泰水は、少女小説のジャンルで活躍した後、ホラーに転じて死者が溢れ出した東京を描いた「妖都」や、小説家とフリーターのコンビが行く先々で怪奇な事件に出会う「蘆屋家の崩壊」といった作品を書いた異能の作家。人形がテーマになった作品を書くなら、夜中に歩き回ったり、人間の体をバラバラにして人形にしてしまうような不気味な話があっても不思議ではないのに、「たまさか人形堂物語」については、怪奇や猟奇の要素はゼロ。だから、恐い話が苦手な人も、安心して人形の奥深さに触れられる。

 ただし、チェコの有名な人形劇団の技を見に、師村さんがチェコを訪れたエピソードだけは、ちょっぴりホラー風味。年老いて体が不自由になった人形遣いの代わりに、師村さんや、近所に住んでいるという子供たちの前で若い弟子たちが演じたものの、師匠ははげしい言葉で罵倒する。緊張のあまりに泣き出す弟子もいたけれど、追いつめられた気持ちで演じた劇が、師村さんには面白く感じられ、師匠も最後は弟子たちを認めて賛辞を贈る。

 それだけならいい話。ところが、師村さんがトイレを探して家の奥にいくと、人形劇の間はいなかった人形遣いの奥さんが、等身大の人形を片づけている姿が見えてしまった。いっしょに劇をみていた子供たちは人間ではなかったのか? 想像すると不気味だけれど、命を持たない人形であっても、うまい人が動かすと、本当に生きているように見えてしまうこともある。案外に師村さんが想像したとおりだったのかもしれない。

 どんな人形でも正体をつきとめ、直してしまう腕を持った師村さんが、いったい何者なのかに迫るエピソードも。古い浄瑠璃人形を完璧に再現したいと願った、職人ならではの頑なさが悲劇を招いて、絶頂から挫折へと師村さんを追い込んでいく。すべてを捨ててうちこむ職人気質とはいうけれど、大切な人を失ってまで守り続けるべきものなのか。後悔した時には遅いんだと知って、それでも職人の道を選ぶのなら覚悟が必要だ。

 伝統的な人形だけじゃなく、人間そっくりの肌触りをもった、人間と変わらない大きさの女の子の人形、いわゆるラヴドールにつていの話が、男子には関心を持たれそう。どこまで作りこまれていて、値段はどれくらいなのかといった情報もあるけれど、ここでもいったん思いをいれこんだ人形は、似ている他の人形とは絶対に違うんだという逸話が語られる。人形はほんとうに奥が深い。

 ガレージキットやガチャポンの小さなフィギュアのような、なじみのある人形についての話も読んでみたいところ。幸い「玉阪人形堂」は生き延びたみたいだから、続きをぜひに。読んだらどんな人形も絶対に捨てられなくなって、買った人形に占領されて部屋がどんどん狭くなる覚悟だけはしておくように。


積ん読パラダイスへ戻る