We Got Into A Boat Called “TAMA”
「たま」という船に乗っていた

 むかし、「たま」というバンドがあってねえ……えっ、ついこの間まで活動してたって? ごめん知らなかったよ、だってテレビにも出てないしラジオで音楽がかかることもなかったじゃない、とっくに解散したって思っていたよ、レコードだって全然出てなかったし。

 それも違う? 2001年「しょぼたま」リリース。2002年「室温〜夜の音楽」リリース。2003年「しょぼたま2」リリース。へえ、21世紀になってもちゃんと活動、してたんだ。

 でもどうして誰も知らなかったんだろう? いいや、誰もってことはないか。少なくとも「たま」は知っていたはずだよね。自分たちがどんな活動をしていたかを。だから石川浩司は書けたんだ。「『たま』という船に乗っていた」(ぴあ、1500円)を。

 むかし「イカすバンド天国」という番組があってねえ……うん、これは本当。バブル絶頂の1980年代末期に社会現象まで巻き起こした番組で、そこに出てこれまた社会現象を巻き起こしたのが「たま」というバンドだった。

 座敷わらしのようにヘンな髪型をしたとっちゃんぼうやと。ランニングを着て短パンをはいた坊主あたまのおっさんと。オルガンを弾きながら唄ってた柳ような幽霊のような兄ちゃんと。3人組? ちがう4人組。でもあと1人がどんなだったか記憶にない。

 そこで「『たま』という船に乗っていた」。そうか、ベースの人がいたのか。名前はGさん。本名は滝本晃司さん。「Closed.G.Show」ってバンドで最期はたった1人になってしまった人が「たま」のベーシスト募集に応募して来て参加したらしい。

 こうして出来上がったのは、「イカ天」に出CMに出て「紅白歌合戦」にもた4人の「たま」。もっともその「イカ天」に出るのだって半分は偶然みたいなもの、だったとか。何でも「たま」のスタッフをしていたあかねちゃんという子が、メンバーに何も言わずにデモテープを勝手に番組に送ってしまって出演が決まってしまったというから面白い。

 でもってワイプ(演奏途中でもダメだと小さくされちゃうアレ)にもあわずに完奏してしまった上に、視聴者からの圧倒的な支持があって優勝して、「イカ天キング」になってさらには「グランドイカ天キング」にまで上り詰めてしまった。

 このあとしばらくの「たま」の活躍ぶりは有名過ぎるくらい有名だけど、それは表から見えたことで裏に回ると「たま」の4人、結構冷静に起こる事態をながめていたことが、「『たま』という船に乗っていた」を読むとわかる。

 「レコード大賞」から「紅白歌合戦」へと車で走り、「紅白」の途中で渋谷の小屋で知り合いの芝居を見てからNHKホールへと戻り、開けて全国をライブで飛び回り、海外にレコーディングに行き幽霊を見て大慌て。ヒットグループによくある大騒ぎの中でも沈着に、こんな騒ぎがもたらした事態に疑問を抱き、事務所を辞めて会社を作ってレーベルまで立ち上げ自分たちでレコードを出すようになった。

 何でもあの「さよなら人類」を出したまだまだメジャーになり立ての時ですら、レコードのジャケット1つとっても自分たちの考え方が容れられなくなっていたらしい「たま」。こと音楽に関しては徹底してこだわり抜いていた「たま」だけに、間にいろいろ人がはいって思うに任せなくなったことはやっぱり苦しいこと、だったんだろう。

 自分たちが作った「地球レコード」というレーベルで、「たま」のアルバムが出始めたのが94年当たり。ただでさえ”旬”をしゃぶるのが好きなテレビが、ブームをいと山越えてしまった上に、インディーズからCDを出すようになったバンドを番組や、CMに取り上げるはずもない。

 という訳でメディアから消えて、認知できなくなってそれで「むかし『たま』というバンドがあった」なんて気持ちにさせられた「たま」がその後いったい何をしていたのか。もちろんちゃんとライブをしていた。「さよなら人類」を唄った柳原陽一郎が抜けたあとも年に50本とか、60本のライブを続けていた。

 アルバムが出続けていたのは前述どおり。あと映画とか、演劇とかにも参加したし海外公演も大成功させた。だったらもっと、世の中に知られていたって良いはずなのにそこが日本のメディアの難しさ。流行っている、というイメージがいったん消えた存在はそのまま消えてしまった存在へと貶められ、せいぜいが「あの人はいま」といったカテゴリーで紹介されるだけになってしまう。

 「『たま』という船に乗って」にもその辺りの状況が、あっけらかんと語られていてそうだよね、日本のメディアってそんなところがあるよね、って思わされる。けどそんなメディアに恨み言なんてカケラもなし。やりたいことをやり続け、やりたいことをやり尽くして消えていく。そんな様をどこまでも”あっけらかん”とつづっていく。そこがとっても「たま」らしい。

 解散の経緯もそう。歳をとって動けなくなった。育ってしまった3人の感性がズレはじめた。だから終わり。納得できる音楽をやりたいと、自分たちでレコードを出すことまでした「たま」だから、嘘臭くもないしおためごかしの美談としてでもなく、すんなりと気持ちに入って来る。

 成長して進化した。そう言えるのかな。違うな。だったら退化して老衰した? それも違う。ありのまま。あるがまま。ピテカントロプスにもならずサルにもならず、人類にもならずに「たま」のまま生まれて「たま」のまま消えていったその生涯。だから悲しくない。悔しくもない。

 むかし「たま」というバンドがあってねえ……10年とか、20年とか経ってそんな言葉で「たま」のことを話し始める時が来るかもしれない。でも。「『たま』という船に乗っていた」を読んだ人だったら、話す口調はとっても穏やかなものになるだろう。不思議だけど優しくって暖かいバンドだったんだよ。そう言って「たま」を語れる日が来るのが今からとっても楽しみだなあ。


積ん読パラダイスへ戻る