大正箱娘 見習い記者謎解き姫

 女性は家にいて、子を産み育てるのが仕事といった観念を、絶対的な信念のようにしてものを言う政治家がいる。保育園に子供を預けられず、困った女性の「日本死ね!」といった悲痛な叫びを、産んだ本人の責任だとばかりに誹る政治家もいたりする。この21世紀の日本に。それも結構な数。

 1911年に平塚らいていうが「元始、女性は太陽であった」と書いて、女性の解放と社会への参画を求め、立ち上がってから100年あまりが過ぎた。1946年に女性の国会議員が誕生してから、2016年でちょうど70年になる。それだけの時間が経過して、女性に対する旧弊な観念は改まり、自分が望む道を自身が選んで誰にも恥じない社会が訪れたと思っていたら、ここに来て急旋回するかのように、旧弊な観念がわき上がり、伸びた女性の意識を削り取ろうとしている。

 そんな言説を繰り出す男性の権力者たちに、なぜか与する女性もいたりするこの複雑な状況がやがてたどりつく社会はいったい、どんな苦衷を女性たちにもたらすのか。100年の歳月でもしも忘れてしまっているのだとしたら、ここに登場した紅玉いづきによる「大正箱娘 見習い記者と謎解き姫」(講談社タイガ、690円)を読むと良い。大正期の女性の立場といったものを、シリアスに描き問題をえぐり出して見せてくれているから。

 タイトル通りに舞台は大正の帝京。そこにある新聞社に17歳で入った英田紺は、主に三面記事のオカルト話を主に書いている新米記者だった。その新聞社にある日、田舎にある旧家で男が触れる死と言われている刀が見つかり、その通りに夫だった男が死んで、そして女が触れると女が死ぬと言われている箱も見つかって、どうにかして欲しいといった話が持ち込まれた。

 受けて英田紺が田舎に行って会った女は、都会から金と引き替えに見知らぬ男に嫁いだと言った。その境遇に不満はないとも。でも、どこか態度や表情が気になった紺は、蔵にあった箱をその場では引き取らず、いったん戻って編集長に相談し、解決の糸口を得るために、神楽坂にあるという屋根が平べったく乗った箱のような家に赴く。

 その家にはひとりの少女がいて、「うちに開けぬ箱もありませんし、閉じれぬ箱も、ありませぬ」とうそぶいた。どうしてそんなところに閉じ込められているのだろう。うららという名のその少女に抱いた英田紺の感情は、そのまま田舎の旧家に嫁いで、夫と死に別れていても義母の下に縛られ続けている女にも向いて、どうにかしてあげたいと思うようになる。

 箱を手にして再びうららのもとを訪れるにあたって、英田紺は田舎から女も連れ出し伴っていく。そこで暴かれた事件の真相から浮かぶのは、女性が家の言いなりにになって金目当ての相手であっても嫁がされ、そこで虐げられても実家に戻れず、ひとりで自立することすら許されない、窮屈で残酷な時代の姿だった。

 それに英田紺が憤り、どうにかしたいと身を動かすのは、自分の妹に同じような運命が降りかかり、そして悲惨な運命を辿ったからなのか、それとも…。隠している英田紺自身の秘密とも相まって、物語はあの時代、女性といったものが置かれた立場を鋭くえぐる。

 今際女優と呼ばれ死にざまが凄いと評判の女優が、新たな演目に臨むに当たって脚本を手掛けていた男が死に、脚本の決定稿が行方不明になってしまう事件。女優が恋情なり憎悪なりを脚本家に抱いていたのかも、といった想像も浮かぶけれど、その先に男の身勝手さが見え、モノとして扱われがちな女性の苦衷が浮かんで来る。

 誰かの秘密を暴く怪盗が跋扈する帝京で、同時に相次ぐ心中事件を追ったエピソードも同様に、自分の意志とは無関係に翻弄される女性の諦めとも、嘆きともいった心情が描かれる。どうしてそんなことになっているのか、それはどうやったら変わっていくのかといった思考を迫る。

 時代だから、といった言葉を受けるなら、今はもう様変わりしているかとうとそうでもない。政治家の旧弊な発言が責められても留まらず、やがてスタンダードとして定着してしまいそうな空気すら漂う。政治がそれを是正するどころか、むしろ尻馬に乗るように旧弊な観念を再び広めていこうとしている雰囲気すらある。

 だからこそ今、そうした旧弊な観念を、それらを尊ぶ者たちを撃ち、叩いて退けることが求められている。それを成さないと英田紺が慟哭に噎せ、無力感に苛まれたあの時代に戻ってしまう。そうさせないためにも読まれ、語られて欲しい物語だ。

 それにしても謎めくうららの正体。滅多に外に出ず、出れば陸軍が出歩くなと注意し、警察も出てきて守ろうとする。なおかつ遠くにいてもその声を英田紺に届かせる。いったい何者? どんな能力を持っている? そこも含めて気になるところ。主題を広める意味とは別に、謎を明かして欲しいと願って続きの出るのを待ちたい。


積ん読パラダイスへ戻る