大使館なんていらない

 常人の及び知れない突飛な行動なりシチュエーションを書くから例えば「銀河帝国の弘法も筆の誤り」も「激突カンフーファイター」もギャグになるんであってあるがまま、事実だけを延々と書き連ねた所で一体何の面白い所があるものか、なんて思っていたら大呆然、おそらくは事実しか書かれていないにも関わらず、全編がこれギャグとコメディとパロディに溢れて読み進みながらも笑いが吹き出し涙が溢れて来る本があったとは、なるほど”事実は小説より珍奇なり”である。

 その本のタイトルは「大使館なんていらない」(幻冬舎、1600円)で著者は元外務省医務官の久家義之。33歳で外務省に入ってサウジアラビアとオーストラリアとパプアニューギニアの大使館に勤務した経験を持つ人らしいけど、そこに書き連ねられた大使館で会った人たち見た事柄のどれもがおよそ現代の感覚では真っ当とは思われないものなかりで、真っ当な感覚を持った人が会ったり見たりしたなら毎日がきっと楽しい浅草演芸場それとも梅田花月に匹敵する笑いを体感できただろう、ただし部外者なら。当事者にとってはそこは多分永遠を1億倍したくらいに長く続く地獄だっただろうけど。

 「アリさん、ユーね、これ、向こうにブリングね。オッケー?」「ユー、ダメよ。イッツ、ノーグッドでしょ」(いずれも53ページ)。まさしく「これって何語だ。こいつらトニー谷か!?(ちょっと古いですが)」(54ページ)ってなもんで、これが日本のちょっとだけ英語をかじったドメスティックなおっさんから出ている言葉だったら何もおかしくはないけれど、心智人望の類はともかく英語若しくは語学に関してはそれなりな物を持っていて不思議じゃない大使館の人が使っているからちょっと驚く。説明だと館内での事務が多い人は英語なんて訓練されてなくって外国に放り込まれるらしく、算盤こそチャカチャカやってなくても言葉ばかりはサイザンスな人が結構いるらしい。

 こんなものは序の口で、この人の機嫌を損ねると大変なことになる会計係の理不尽さとか大使公使の公費の乱用ぶり私費の吝嗇ぶりとか挙げれば珍奇なる人々による珍妙な言動数知れずだけど、これってどうやら別に大使館に限ったことではなく、とかく体面ばかりを気にして実が伴わずそれでも決まっていることだと曲げずに突き進んでは爆発する傾向は、日本と日本人全体にあるみたい。湾岸戦争の時に海部首相がサウジアラビアを訪問した際に朝食に出すゆで卵を100個、半熟じゃない固すぎると私設秘書(息子じゃない方)が茹で直させた話がギャグだったらこんなに愉快なことはないけれど、一国を預かる人の周囲で実際に(多分)起こってるんだから笑えない。

 大津波が襲ったパプアニューギニアを援助しようとした外務省が首都のポートモレスビーに物資を送ったは良い物の、それを4000メートル級の山を越えて津波の被害が出ている島の北側までどう運んだら良いのか分からず、オーストラリア軍に頼んで届けてもらったというから大唖然。「地図だけ見て島の北側からポートモレスビー攻略を命じた太平洋戦争の時と同じ過ちを繰り返しているのだ」(63ページ)なんて指摘、どうすれば笑って見過ごせよう、不謹慎を承知で次は負けないなんて想像を巡らせる人がいたとしても指揮するのが今の国じゃあやっぱり負ける、っていうか負けさせられるだろう。一時が万事ではないにしても日本の不思議さを濃縮した形で見せてくる大使館、これを純粋なギャグだと笑って読める日が……来る訳ないよなあ。


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