死者の体温

死者の体温

 祖父のことは覚えている。母方の祖父だ。村会議長を務め信用金庫の支店長もやり、晩年は絵馬や色紙を描いて暮らしていた。だが祖父の父親、自分にとっては曾祖父にあたる人物のこととなるとまるで知らない。いつ生まれ、なにをして生計をたて、いつ亡くなったのかも知らない。ましてやさらにその父に至っては、今生きている親戚一同にあたっても、きっと誰もなにも知らないだろう。

 わずか数代、さかのぼっただけで誰も覚えていない人生を例えば自分に当てはめて、孫のその子が果たして自分のことを覚えてくれていると考えるのは、やはり傲慢なことだろう。戸籍として、紙の上にいくばくかの記録は残っていても、記憶にはまるで残らない、残ったとしてもせいぜいが50年しか保たない記憶に、いったいどれだけの意味があるのか? ましてや自分とはなんら関わりのない、大勢いる人間のひとりひとりの人生など、どうして気にしていられよう?

 そう悟ってしまった瞬間に、人は人を殺す禁忌から解放されるのかもしれない。大石圭の「死者の体温」(河出書房新社、1600円)の主人公のように、老婆を、少女を、少年を、隣人を、同僚を次から次へとくびり殺しては、別荘の庭に死体を埋め、素知らぬ顔で日常生活を送れるようになるのかもしれない。素知らぬ顔、という言葉もこの際当てはまらない。「トラウマもない/悪意もない/動機もない」(帯より)殺人は、呼吸したり食事をするのと同じくらい、彼にとっては当たり前の行動になっているのだから。

 安田祐二、という名前を持った男は不動産関係の会社に勤め、若くしてそれなりの地位を得て、けれども決して突出したところはなく、もちろん劣るところも一切なく、平凡の言葉がぴったりなくらいに地味な生活を送っている。外務省に務めている兄、離婚して方や若い妻を得た父に、同じく若い夫を得て世界中を旅行して歩く母を家族として持ちながらも、結婚せずに1人マンションに住んでいて、時折デートクラブから女性を調達しては、マンションへと連れ込んで性交する。

 その日はエミリと名乗る18歳の少女をマンションへと連れ込んで、身の上話を聞いていた。やがて彼女の本名が桜井麻理子であると知り、19歳の誕生日になればユーノスロードスターを買ってもらうことになっていると聞き、彼女がただの女ではなく名前も家族も経歴も未来も持った1人の人間であると確認してから、彼は桜井麻理子の細い首を締め、砲丸投げで鍛えた腕力で頚骨をへし折って、彼女を死へと至らしめる。

 安田祐二は止まらない。妊娠していた隣人を危め、別の誘った女性を危め、かつての恋人の赤ん坊を連れ去って殺し、公園にいた少年をくびり殺し、それからまだまだ大勢の人々の人生にあっけなく終止符を打って、けれども安田祐二は後悔もしなければ誇りもしない。「今生きている人々の99・999%は、死んで100年もすれば完全に忘れ去られてしまう」(27ページ)。そんな信念を確認するかのように、次から次へと殺害しては、せっせと死体を別荘の庭に埋めていく。

 自分はどうして生きているんだろう。自分が生きている意味ってなんだろう。多かれ少なかれ大半の人間が、人生のどこかで行き当たる問題に安田祐二もぶつかって、その答えを探そうとしている。よくある「自分探しの旅」の物語。ただし「死者の体温」で安田祐二が旅に使った方法には、大きな間違いがあった。彼は自らを他人の間にさらし、お互いの関係性の中から自分の居場所を見つけるという手法ではなく、スペアの存在しない特定個人の歴史に、自らが終止符を打った瞬間に感じる「何か」に、自分の存在の意味を見出そうとした。

 けれども安田祐二は、いくら他人を絞め殺そうとも人間が生きている意味を見つけ出すことができない。居合わせた駅で電車に飛び込んだ男性に興味を持ち、興信所に依頼してその男のことを調べて、けれども届けられた報告書がわずか数ページの経歴の羅列にしか過ぎないことに茫然とし、偶然に知り合った子供を餓死させた女を脅して自分のことを興信所に調査させて、上がって来たやはり数ページにした過ぎない自らの経歴に、人々の記憶としてはもちろん、記録としても残ることのない、自分の生きている無意味を見いだす。

 自分の生きている意味に疑問を持ち、答えを探し求めてこの本を手に取る人がいたとしたらきっと、安田祐二の行動からたちのぼる、暗い甘美な誘いに心を惑わされることもあるだろう。けれども、まだ心のどこかに人の死を悲しめる気持ちが残っているなら、なんの理由もなく突然自殺してしまった父親が残した、下駄箱の大きな靴にこぼした娘の涙に、ふっと我を取り戻すことができるだろう。

 たとえ他人にとってはとるに足らない存在でも、その人が死んだら私は悲しい、そう思う心が芽生えさえすれば、永遠の記憶も永遠の記録も関係なくなる。ただその瞬間に、命は限りなく美しいものであることを、あなたは知ることができるのだ。


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