シュガーな俺

 それは突然にやって来た。いや。実は静かに忍び寄っていたのだが、それといった自覚があったにも関わらず、自認へとは至らないまま、次第に体を蝕んで、そしてある時を境に一気に表面化しては1人の人間を、壁の向こう側にある世界へと連れて行った。シュガーな世界へと。

 糖尿病。実に悩ましい病気だ。たっぷりと食べて、たっぷりと飲んで、運動もしない肥満体の中高年が、半ば懲罰的に罹る病気のことだよね。なんてことを言われてしまう島女房。なるほどそういった部分もないでもない。けれども片瀬喬一の場合は事情がちょっと違ってた。

 酒こそ飲んでもアルコール依存症という程ではない。体型はどちらかといえば痩せ型で、一般的な通念では不摂生という外見には当たらない。それが急な激痩せに倦怠感にのどの渇きといった症状が現れ始め、医学書を紐解きあるいはと気づきながらも先延ばしにしていた挙げ句、ようやく向かった病院で医者からら案の定、糖尿病だといわれて愕然とする。

 どうして僕が。驚き慌て悩みながらもそこはそれ、そのままでは命に関わる病気とあって喬一は治療に臨む。生来が生真面目な性格だったこともあって、入院中も面倒はかけず退院後の食事療法も順調に進む。ともすれば厳密過ぎる食事制限によって、みるみるに血糖値は下がりインスリンの注射も必要がなくなり、ごくごく普通の生活へと帰っていった。

 これにて片瀬喬一の闘病記も一巻の終わり、となったら良かったのだが、そこに落とし穴が待っていた。妻との関係がぎくしゃくし始めた。結婚から何年か経ち、倦怠期にも来ていたこととそれぞれが責任のある立場になっていたこともあって、感覚にズレが生まれて諍いが増えた。

 厳密すぎる食事療法を守ろうとしても、忙しい妻が毎日弁当や食事を作ることができない。家事の負担も喬一の方に傾いてくる。自分の病のことであり、また妻の栄達という祝福すべきことであるにも関わらず、負い目からか恐怖心からか、責任を妻にも応分に負担してもらおうとして無理が出た。

 たまるストレス。増えるアドレナリン。高まる血糖値。ただでさえ糖尿病の沈静化には向かない環境なのに、喬一は逆にストレスを紛らわせようと酒量を増やし、食事も増やしてしまった。結果、恐れていたことが現実になる。通院していた病院の担当医がいなくなり、転院を余儀なくされて間に検査ができなかったことも重なり、3ヵ月後に行った先の病院で、喬一は血糖値が激増していると伝えられる。

 なおかつ不思議なことに、膵臓の酷使によって発生する、それ故に不摂生の賜と誹られる「2型」だった喬一の糖尿病が、膵臓(すいぞう)内にあるランゲルハンス島のベータ細胞が死滅し、自分でインスリンを生成できない「1型」になっていることも判明した。ありえないと思われていたことが起こってしまい、唖然呆然としていた彼のところに1つの転機が訪れた。それは……。

 結果、平山瑞穂という、「ラス・マンチャス通信」(新潮社)で「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞してデビューした1人の作家が誕生し、そしてそこから自伝的な小説である「シュガーな俺」(世界文化社、1400円)も生まれてここに至るということで、今もインスリンの注射器を肌身離さず携えながら、日々を精力的に活動し執筆している平山瑞穂へとたどり着く、のかは分からない、「シュガーな俺」はどこまでもフィクションだから。それでも自身が糖尿病と先刻された平山瑞穂の感情なり見解なりが、込められていることだけは確かだろう。

 そこから言えるのは、糖尿病だからといってそれが不摂生による自業自得なものばかりとは限らない、ということで、どこかの大臣が糖尿患者ゆえに事件を起こしたのだといった不見識を述べていたのは当然ながら大間違い。「1型」のように1つの障碍として認知し、理解する必要がある糖尿病も存在する。

 また「1型」はなるほどやむにやまれぬ事情だとしても、「2型」は不摂生から来たものだと言えるのかどうなのかも断言は難しい。何かとストレスの多い時代、ただでさえアドレナリンが出まくっているところにもって、見渡せば酒や食べ物は巷に溢れて、望むと望まざるとに関わらず洪水にように押し寄せて来る。いかな鋼鉄の意志を持ってしても、完全に避けて逃げるのは困難だ。

 おまけに、溜まるストレスを解消するには、酒に食事に煙草に睡眠不足は避けられない。不摂生によって体が悲鳴をあげても、それより強い悲鳴を上げてる心を癒すためには、食べて飲んで騒いで遊ぶ必要がある。現代文明のまっただ中に生きる人間なら、もはや避けられないところまで来ている糖尿病を、不摂生だ怠慢だと言下に断じてはいけない状況にあるのかもしれない。

 けれども、というよりだからこそ「シュガーな俺」に書かれた内容は、未来への道標としての意義を持つ。原因になるストレスが多すぎる時代ならば、ストレスが生まれないような職場づくり、環境づくりに世の中が向かうよう誰もが心を配ればいい。

 高齢者の介護医療が負担になるなら、介護が必要な状態に至らないよう、高齢者に予防のための運動を奨励し、資金も拠出しているのと同様に、生活習慣病の最たる糖尿病の増加が、医療費の増大につながる可能性を汲んで、国にはストレスを生まない社会を作るための、よりいっそうの努力を望みたい。週休3日で給料変わらず。それで出来た余裕を酒食に回せば意味ないが。やはり最後は本人の意志の強さにかかってくるのか。


積ん読パラダイスへ戻る