消失グラデーション

 そうかも? と思いながら読む読み方は得意じゃない。そうだろ? と思いこんで読む読み方も苦手だ。それはミステリの読み方のこと。読者に何かを問いかけているジャンルの物語だから、問いかけに対して答えを用意して、向き合うことが出来る。でも。

 それは本当に楽しいことなのか? 楽しいと大声で答えるミステリ好きがたくさんいることは分かる。めぐらせる想像。ちりばめられたヒント。行間まで読んでつかんだ答えが、真相とピタリと合ったときの喜びたるや、難解なパズルが解けた時にも匹敵する、相当な強さを持ったものになる。でも。

 ミステリにも物語がある。そこから伝えようとしている何かがある。その何かが謎解きそのもののこともあるけれど、解かれたむこう側に浮かび上がるものが、とても大切な誰かへの伝言だったり、心への訴えだったりした時に、謎解きばかりを追ってそうしたメッセージを受け止める心が、おろそかになりやしないかと、そんな心配が浮かぶ。

 謎すら解けない惰弱と誹られるかもしれない。最初から諦める者にミステリなんて読む資格はないと叱られるかも知れない。それでも、謎解きの行為そのものより、謎が謎であった理由が伝えようとしていることを噛みしめたい。

 だから好きなのは、全部を読み終えてそうだったのか! と驚く読み方。繰り出される真実に驚き、そして嬉しさを覚え、その上で現代にいろいろと存在する困難を、皆が力を合わせて乗り越えていく素晴らしさがそこにはある。

 例えば、第31回横溝正史賞を受賞した長沢樹の「消失グラデーション」(角川書店、1500円)のように。謎解きを越えた征服感よりも強い、謎そのものが訴えてくる人間の深くて激しい思いが、この物語にはある。

 男子バスケットボール部に所属していて、身長188センチの鳥越祐一という主将とマッチアップしても遜色ないスピードとテクニックを持った主人公の椎名康。けれども、部ではレギュラー選手ではなく、いつもディフェンスばかりを任される。おまけに、ときおり怪我だといって練習を抜け出し、学校の各所で美少女たちと浮き名を流す。

 そんな椎名に、鳥越は好意を抱いて告白までするものの、椎名は男はダメだといって鳥越を寄せ付けない。もっとも鳥越は「恋愛はすべてにおいて自由だ。俺が椎名を好きになったのも、椎名が俺のことを好きになってくれないのも、自由な意志からだ」と言って意に介さない。物語にちょっとした耽美でコミカルな香りが漂う。

 もちろん、そんな宣言を聞いても、椎名が鳥越を受け入れるということにはならない。その日も練習から抜け出した椎名は、常緑樹に囲まれた学校の死角のような場所で、彼女といいコトをしていた。

 そこに、椎名とはクラスメートで、放送部に所属して映像を撮影する活動をしている樋口真由が現れる。椎名がバスケットボール部の活動を撮影するため、ビデオを使っていた関係もあって親しくなった間柄。そんな樋口から、学校に不審者が現れ、何かを画策していると椎名は聞かされる。

 そして幕を開ける少年少女の探偵団ごっこ。米澤穂信や日向まさみちといった、ライトノベル出身のミステリ作家による学園ミステリに似た物語が、またしても始まったのかとかと思いきや、事態は大きく動きだし、学校の範囲をはみ出して、社会とも関わる事件へと発展していく。

 中学時代からバスケットボールの名選手として名を馳せ、乞われて藤野学園という椎名や樋口が通う網川緑という生徒が、女子バスケットボール部で浮いた存在になっていた。天才ゆえにひとりよがりのところがあって、前はそれを擁護してくれていた先輩がいたものの、3年生になって引退し、今は独善ばかりが目立つようになっていた。周囲に合わせれば合わせられる才能もあるのに、そうしないで部員たちを苛立たせ、親友だった部員の少女からも激しく憎まれるようになってしまう。

 実は繊細で、自傷行為に走るくらい、心にもやもやをかかえていた網川とは、以前から見知った関係だった椎名は、網川が女子トイレでリストカットをしたという話を樋口から聞き、いっしょになって助け出す。けれども網川は屋上でリストカットに走ろうとし、椎名はすぐには止めず救急箱を取りに階下に降りた直後。何か物音がして外を見ると。網川が血を流して地面に倒れていた。

 助けようとして近づいた椎名。そこに何者かの腕。眠らされ、気が付くと自分だけが横たわっていて、網川の姿は見えなかった。それどころか、世の中から消えてしまった。助かったのか。死んだのか。それすらも分からない中で、椎名と樋口のペアは消失の真相を追い始める。

 不審者が現れるようになった関係で、監視カメラがいたるところにつけられた学校は、衆人環視という密室状態におかれている。そこから消えてしまった網川。その物理的な謎と、そして網川の存在が消えなくてはいけなかった状況的な謎が、進展していく物語から浮かんでくる、人間という存在の複雑で、繊細で、奥深い様と重なり合った時。生きづらい世界をどう生きるのか。そんな生き方へのメッセージが浮かんでくる。

 その1点に止まらず、物語は生きづらさを覚えがちな社会にあって、そこをどう突破していくのかを探ろうとする、さまざまな人たちのあがきと迷い、葛藤と疾走のドラマを見せてくれる。才能への嫉妬。肉体への違和感。周囲の侮蔑。社会からの抑圧。誰にだって大なり小なりあるそんな諸々を、どう感じどう受け止め、どう乗り越えていくのかを示してみせる。

 読んでいる途中、そうなのかもと感じる瞬間も少しはある。けれども、そこだけが重要なのではない。読み終えようとして浮かぶ、幾つものそうだったのか! という驚きを存分に味わった果てに、まずは物語に出てくる人たちに、それでいいんだと伝えたくなる。その後で、ページをもどって繰り直し、そうかそうかと行間を探り謎を広いヒントを集めて噛みしめていく、そんな楽しみ方をこの本ではしたい。

 一気に読んで驚き喜びそれから納得を。それが僕からの提案だ。


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