数字で救う! 弱小国家
電卓で戦争する方法を求めよ。ただし敵は剣と火薬で武装しているものとする

 太平洋戦争に負けた日本は、戦後から10年ほどで復興へと歩み始めて高度経済成長を成し遂げ、戦後23年目にはGNPでアメリカに次ぐ世界第2位へと躍り出た。その背景に、太平洋戦争に負けて実質的にアメリカの傘下に置かれつつ、冷戦の間でソ連であったり中華人民共和国といった社会主義国家への防波堤として、アメリカによって発展を望まれたことがあるかどうかは判断に迷うとこだったりする。

 負ける前に講和へと持ち込み、政体を維持し軍備も保持しつつ勤勉さによって経済発展を成し遂げた可能性があったかなかったか。戦前のままでは世界から資源を買い入れ加工して輸出して発展を遂げるような国の形は築けなかったか。答えは出しづらいものの、現実として日本は戦争に負け、アメリカと軍事同盟を結びつつ経済発展に力を注いで先進国の仲間入りを果たした。負けたからこそ成し遂げられたものだと言えよう。

 つまりは、戦争は負けても奪われ滅ぼされるだけでなく、時と場合によっては勝ったに等しいだけの利益を得られることもあるということ。戦いによって流される血や失われる命を思えば、負ける以前に戦争をすること自体が大きな不利益だと言えなくもないけれど、そこからさらに簒奪なり滅亡といった最大の不利益へと到るのを防いで、せめてもの利益を取りに行くことは可能だと、戦後の日本の歩みが教えてくれている。そしてファベールという国の歩みも。

 ファベールとは? それは長田信織による「数字で救う! 弱小国家 電卓で戦争する方法を求めよ。ただし敵は剣と火薬で武装しているものとする」(電撃文庫、610円)に登場する弱小国家の名前。数学者だった祖父に憧れたナオキは、同じように数学を嗜み、中学生の頃にはおっぱいと乳首を関数グラフにして描く式を祖父に提示できるだけになっていた。

 そこで祖父から、おっぱいは数式よりも本物の方が良いと真理を突きつけられ、愕然としたナオキだったけれど、その後も数学に勤しみ続け、学会でもそれなりに認められる存在になった矢先。祖父が死に、遺産相続で揉めている間に大学を卒業してしまい、就職できずアルバイトしていたナオキは突然に異世界へと召喚されてしまう。

 ナオキが手にしていたのは電卓くらい。そして、出現した部屋に並んでいた地図とかデータから異世界のそこが周辺国家から責め立てられている弱小国家であることを感じ取り、ナオキは埋まっていなかったデータを計算によって埋め尽くす。そこに現れた部屋の主。正体は? 何とファヴェールの王女ソアラだった

 病床の父王に代わり、データを元にした合理主義で執政に取り組んでいたソアラ。もっとも、騎士だの司教だのといった旧勢力が邪魔をしてなかなか改革を進められずにいた。そこに現れたのがナオキで、彼の数学や数字の知識を借り、王女は改革を進め攻めて来た強国とも対峙する。

 すると勝てた。けれども父王は旧弊な考え方に縛られて娘を認めようとはしなかった。騎士は名誉のために無謀を通し、司教は宗教の名を借りて何かを企んでいた。まさに四面楚歌。味方はナオキくらい。それでもどうにか戦った2人にとてつもない危機が訪れる。それは国を滅ぼしかねないほどの危機。起こるか大逆転? 起こらななかった。でも起こった。どういうことだ?

 それがこの、「数字で救う! 弱小国家」という小説の読みどころ。軍師が才能を発揮し、将軍が勇猛に戦い敵を撃退する戦記物なら割とあったりするけれど、ここでは戦術的勝利など不可能で、戦略的にも追い詰められながら、国家として存立し生き延び栄えたりもしそうになる。

 なぜ? 数字で未来を見通したから。勝つだけでなく敗れて従属するだけでもなく、負けながらもそこに活路を見いだし、逆に反映を遂げる道を探り当てたから。そんなファヴェールの歩みと、ソアラやナオキの選択に触れるにつけて、現実の世界で近隣国が軍備拡張に勤しんでいる時、こちらも対抗して軍備を増強せよといった論調が世界で蔓延っても、煽られず誘われもせず、プライドではなく実利をもって存立し、反映していく道を選ぶべきだと教えられる。

 途中、ゲーム理論だとか囚人のジレンマとかいろいろと例題が出てきて数学の知識を試される。解ければ優れた軍師になれるだろうし、解けなくても学べば未来にきっと役立つ。自分を高めて国を救う数学の知識、そして数学への興味を養えるライトノベル。そうやって高められた数学の知識でさあ導き出そう、おっぱいを関数のグラフで書くために必要な数式を。


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