砂の下の夢

 人間にとって何より怖ろしいのは死ぬことで、だから人間は何をおいても生きること、生き続けることを望む。それ故に人間の生への執着は、どんな願望よりも凄まじくまた力強いものになる。

 呪いとか恨みとか、そんな生への執着が生きている人に及ぼしたものだと言われる影響を、挙げれば枚挙にいとまがない。幽霊となって姿を現し生きている人を脅かすことだって、あながち不可能ではないのかもしれない。

 それだけの強さがあれば、水のない砂漠に泉を湧き出させ、オアシスを形作らせることだって出来るのかもしれないと、TONOの「砂の下の夢1」(プリンセスコミックスデラックス、514円)は思わせる。強さ故に執着がいったん歪むと、現れる影響も醜く歪んだものなるんだということもあわせて。

 97歳の老婆フィーガのもとに国使がやって来て、ジャグロ族の2人とともに南の27番目のオアシスを撤収する仕事を言いつけられる。ジャグロ族とは砂漠に生きる特別な民で、砂漠に暮らす人々は誰もが、ジャグロ族が行う仕事を見届ける義務を負っていた。

 やって来たジャグロ族の2人はフェイスとチャルという2人組。ともに痩躯の美形で、フィーガに聞かれて将来を誓い合った仲だと答えたものの、ジャグロ族の習慣として、成人になるまでは性別を隠しているため、どちらが男でどちらが女かフィーガには分からない。

 ジャグロ族は男同士、女同士でもカップルになることがあるらしく、フェイスとチャルの両方とも男だったり、あるいは女だったりするかもしれないけれど、それはいずれ明らかになること。フィーガはそんな2人とともに南のオアシスへと出向く。

 そこにはエンジェという美しい少女がいて、水を湧き出させ緑を茂らせていた。実は彼女は死んだ人間の魂で、ジャグロ族によって砂漠の砂の下に埋葬された代わりに、水を集め植物の種を芽吹かせる役目を担わされていた。

 「死者の思念のなせるわざ」。そうフェイスがフィーガに解説したように、生への強い執着を持った死者の魂が、人の生きるために不可欠な水を湧き出させ、植物を育ませるエネルギーになっていた。オアシスは砂漠を旅する人たちの憩いの場となり、体を休ませ心を潤わせていた。

 そんなオアシスをどうしてジャグロ族は撤収するのか。オアシスを湧き出させるくらいの強い生への執着も、時が流れればどこかに歪みが生まれる。あるいは純度が強くなり過ぎて、幸いを超えて人に災いをもたらす。

 フィーガが訪ねたオアシスは、エンジェという少女の生への執着の強さ故に栄え、そして崩壊する。その様に、生きることの大変さを思い知らされ、それでも生きることの素晴らしさを思い抱かせられる。続く短編。放っておいても水が湧き出、果実が実り酒ができるオアシスに暮らす親子の怠惰に裁きが下る。

 別の短編。世話好きだった女性の魂が呼んで生まれたものの、時が経って訪れる人も少なくなってしまったオアシスの導きで、少女が望まぬ相手との婚姻から逃れ、異国の青年との恋を成就させる。どの物語からも、オアシスになった人々の残した想いの強さと、一所懸命に健気さに生きることの意味を教えられる。

 子供を助けようとして犠牲になった母親の子を想う念。命じられて人間たちを大勢殺めた少年の呵責の念。生への想いが執着に変わる怖ろしさを感じさせつつ、他人を想う心の優しさも浮かび上がらせる。絵柄は明るいけれど、厳しくて残酷な死というものがしっかりと描かれている辺りは、TONOの別の作品「チキタ★GUGU」(朝日ソノラマ、760円)とも重なる。

 チャルがジャグロ族に入り、フェイスとカップルになるエピソードも入った第1巻に続く第2巻では、どちらが本当に女子なのか、あるいはどちらも女子なのかが明かされるのだろうか。そういった楽しみを別に抱きつつ、生きたかった想いが生きようとしている人たちを支え、前へを歩ませる物語に生きるための力をもらおう。


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