す が    はなも
末枯れの花守り

 どうして人は花を愛しいと思うのでしょうか。受粉させてくれる虫などは、花にとって種族維持のために欠くことのできない存在ですから、甘い蜜をたっぷりと溜め、甘い香りをいっぱいに発散して、せいいっぱいその気を引こうとしています。けれでも人間なんて、手折ったり踏みつぶしたりと、およそ花のためにとって良いことなど何一つしてくれません。そんな人間に花が媚びて咲くなんてことが、あろうはずはありません。

 でも人は花を愛しいと思います。ただ咲いているだけの花を美しいと感じます。どうしてでしょうか。それはきっと人間が、花を通して花を見ている人間自身を、愛しい、美しいと思っているからではないでしょうか。好きな人に花を贈るのは、花を見て口元をほころばせるその人の笑顔が見たいからです。花が枯れて哀しいのは、花の運命を自分に重ね合わせて限り在る生命の儚さを感じるからです。自分であれ他人であれ、人が人を思う心を写して、花は美しく咲きやがて枯れ、そして散っていくのです。

 自分の心を写した時、どんなに絢爛と咲き誇る花も、それは寂しさの象徴になります。大都会で1人きり、ぽつねんと暮らしている少女が部屋のベランダで花を愛でていたとしたら、たとえその美しさに惹かれ、その生命力に打たれているのだと力説しても、とどのつまりは自らの寂しさを紛らわすための、愛玩物にほあかなりません。けれども花は物ではなく、短い盛りを精いっぱいに生き、やがて枯れ果てるいのちです。限りあるその生に、同じく限りある自らの生を重ね合わせた時、そこに生じるのは儚き存在への強く激しい想いです。

 そんな人の想いを糧とするために、永世と常世の2人の姉妹がいずこからともなく現れて、寂しい心を甘い言葉で誘惑する。菅浩江さんの「末枯れの花守り」(角川スニーカー・ブックス、800円)は、そんな恐ろしげな、けれども逃れられないくらい強い魅力を持った姉妹と、花に己を託すのではなく、花を慈しむ己を大事にせよと諭す花守りとの闘いのなかで、花に思いを託すのではなく花から自分自身を取り戻す勇気、それでもすべてを花に肩代わりさせざるえを得なかった人間の浅ましさ、弱さを描いた連作短編集です。

 都会に出てきた島田今日子は、引っ込み思案で人見知りで、その実自意識過剰な性格がわざわいして、大学でなかなか友人ができません。どこか世間から見放されてしまったような寂しさを紛らわすためだったのでしょうか、今日子はベランダで朝顔を育てはじめます。夏になり、一輪、また一輪と咲いていく朝顔を見ながら、最初うきうきしていた心でしたが、やがて日が経つに連れ、沈んだものとなっていきます。生あるものの宿命ゆえに、開いた花は夜にはしぼみ、やがて枯れ落ちてしまいます。そんな当たり前の様子に、けれども今日子はいっそうの寂しさを感じてしまったのです。

 残った一輪に今日子は思いを託します。それは朝顔に水をやっていたある日、手がすべって水をかけてしまった青年との思い出を結ぶ花でもあったからです。絶対にしぼまないで、絶対に枯れないで。花を想いその実自分の欲望を心配していた心根が、永世と常世というこの世の者ならぬ化性たちを招きよせてしまいます。

 永遠を望むなら与えようという姉妹の甘言に、心揺れる今日子の前に、姉妹と対立を続けている青葉時実と名乗る美少年が現れ、花にかこつけてズルズルと結論を先伸ばしにして来た今日子の本心をずばり言い当てます。そして、今日子を永遠の微睡みではなく、一時の絶望と次ぎなる希望を繰り返す人として、命あるものとしての暮らしへと連れ戻そうと懸命な姿を見せるのです。

 「闇の中で力を貯め、時の流れが見えたなら、あなたは船を漕ぎ出されればよいのです。叶うはずです。現世では。一度目は駄目でも次がある。時が流れている限り、幾度でも、いかようにでも・・・・」

 曼珠沙華に想いを写して永遠につかまってしまった子狐の物語「曼珠沙華」、己の才能を過信して自らを花の王たる牡丹と認めた美少女の、その実ひとりよがりの寒牡丹と知って深く傷つき、けれども冬に咲く寒牡丹の凛々しさに気づいて、前に向かって進みはじめるまでを描いた「寒牡丹」、本心を隠し、目立たぬふりをしながらも、本当は人から注目されたい、関心を持たれたいという暗い想いに心をたぎらせていた少女が、山百合になってはじめて自らの醜さを知る「山百合」等など。いずれ花に己を託すこれらの物語からは、浅ましさと清らかさ、強さと脆さ、儚さとしぶとさの相反する面を合わせ持った、人間という存在の不可思議さが見えてくるような気がします。

 どうやらシリーズは、これ一冊で完結してしまっているようですが、世に花の種類は数多く、例えば薔薇、あるいは櫻と人の想いを写し取り、絡め取る花もまだまだたくさん残っています。可能ならば菅さんには、今一度筆をとってもらい、その卓越した観察眼で、そして雅やかな筆致で、花を通して人を想う人の心の強さを、弱さを、美しさを、醜さを、描き出してもらいたいと、心から切に願っています。


積ん読パラダイスへ戻る