スチームオペラ 蒸気都市探偵譚

 SF的な設定を使って書かれたミステリーが、時として陥る困難があるとしたら、そうしたSF的な設定が、ミステリー的な謎解きにあまりにも奉仕し過ぎていることが挙げられる。現実に起こり得ないだろうことは、SFだから至極当然と受け止められながらも、そうした突拍子もない設定自体が、謎を成立させる上で一種の必然となっていて、本当だったらもっと外へと広げられそうなアイディアを、謎解きに収れんさせざるを得ないミステリー的な展開に、押し込めてしまうことがあったりする。

 もちろん、SF的な突拍子もないアイディアを、パズルの条件のように使うことで、謎解きを複雑にして面白おかしく描いてしまえる、西澤保彦のようなSFミステリーの書き手もいるから、一概に拙いとは言えなかったりする。それでも、やはりSFとして存分な魅力を持った世界観を作り出した以上は、それを謎解きの材料という範囲に留めおかないで、存分に味わえるようにして欲しいもの。そうなれば読み手としても嬉しいし、書き手としても心が晴れるだろうから。

 「森江春策の事件簿シリーズ」を始めとする多くの作品を描いて人気のミステリー作家、芦辺拓がSF的な設定を使って挑んだ「スチームオペラ 蒸気都市探偵譚」(東京創元社、1700円)という小説。ヴィクトリア女王が健在で、清国には光緒帝がいたりする時代でありながらも、世界には蒸気の力を使ったさまざまな装置が存在していて、街を走ったり空も飛んだりしているという状況は、SFのひとつとして人気のスチームパンク的な世界観を思わせる。

 なおかつエーテル科学も発達したりしていて、それを使って人類は宇宙にまで進出しては、ワープ航法にも似た技術すら活用して、遠く太陽系の彼方を探索するようになっている。もっと細かく目を凝らせば、現場から記者が原稿を送る時に、タイプライターのようなものを使って入力したデータが、音楽に変換されて空中に流されそれを受け取った側がまた、文字に変換するようなテクノロジーも存在する。アナログではあっても無線通信が実現されているという訳で、そうした一連のガジェットはどれも楽しく、どういった風景がそこに広がっているのか、想像力を強く刺激される。

 そして物語は、エマ・ハートリーという名の少女が、父親が船長を務めている宇宙探索船の帰還を港まで出迎えに行って、なかなか降りてこない父親に業を煮やして策を巡らせ潜り込んだ船内で、カプセルに入ったひとりの少年と出合うところから幕を明ける。そこで、開かないカプセルから少年を引っ張り出そうと呼ばれた名探偵、バルサック・ムーリエと出合ったエマは、就職活動に近い社会勉強の一環として、甦ってユージンと名乗ったカプセルの少年ともども、バルサック・ムーリエの探偵事務所で見習いのようなことを始め、そこで幾つもの不思議な事件に巻きこまれる。

 密室で科学者が、顔面を巨大な石のようなもので叩きつぶされて死んだ事件に、新・水晶宮と呼ばれる植物園で、別の科学者が胸をどこからともなく飛んできたナイフで刺されて殺された事件。それらの謎をさすがは名探偵のバルサック・ムーリエ、エーテル科学が存在する世界観ならではの解決方法で解き明かしてみせる。

 けれども本当にそれで正しいのか。事件を取材していた若い記者が投げかけてきた問いかけが、心に疑心暗鬼を生んで迷うエマの前に、友人というかライバルに近い富豪令嬢のサリー・ファニーフォウという少女の誘拐事件が絡んできて、話は一気にクライマックスへと向かう。そこでは、この世界の謎というより宇宙全体の全貌が示され、だからこそ起こり得た事件なんだと示される。

 なるほど、それは不思議な事象を成り立たせ、解決へと至らせるために壮大なトリックではあるけれど、同時にSF的な想像力から生まれたビジョンの提示でもある。読めば「ああやられた」と感心しつつ、ちょっぴりの落胆が混じった感情を抱くに留まるのではなく、ひたすらに凄いといった驚きと喜びの感情に心を満たされ、素晴らしい物語を有り難うと思う感謝の中に、ページを閉じることになるだろう。

 あとがきの中で作者が、謎解きにSF的な世界観が奉仕し過ぎていて、話が狭くなってないかといった懸念を示しているけれど、そうした不安はまったくの杞憂。ミステリーとして描かれながらも、物語の世界観が謎解きのためにのみ奉仕している訳では決してなく、魅力的なビジョンを持って読む人を楽しませつつ、そうした世界観だからこそ起こり得る事件を描き、そうした世界観だからこそ成り立つ謎解きを描いて、世界観そのものを際だたせている。未知を既知にして楽しませるSFのマインドに溢れた、優れて愉快な冒険ストーリーだ。

 現実世界で起こった資源と利権をめぐる争いが、植民地を世界の各地に作り出して、富むものと富まざる者を生み、支配する者と虐げられる者を生んで世界を今なお続く混迷へと叩き込み、結果大勢の命が失われ、沢山の自然が破壊されてしまった。そのことへの警鐘として、叡智を持った君主たちが聡明な思想のもとに結集し、世界を幸福へと導こうとする態度を見せていることは、ある種の風刺でもあり、啓発でもあって心に刺さる。

 「スチームオペラ 蒸気都市探偵譚」ではあと、エンディングの部分にさらに凄まじい世界観の種明かしがあって、これには設定上の大仕掛けに驚いた人も、足を取られたような気分を味わうだろう。芦辺拓のファンにはとりわけ、ニヤリとさせる設定だけれど、本当にそうなるのかを想像してみると、多少無理筋を思う部分もあるかもしれない。とはいえ、文化が混じり合うときに起こることの不思議さは、この日本も文明開化で経験している。起こり得たかもしれない現実かもしれないと、想像としてみるのも楽しいだろう。

 パルプフィクション的な宇宙規模での大仕掛に、世界への認識を反転させるような大仕掛けをみせてしまった後だけに、大団円を超えてこの世界観で続く物語が紡げるのかは分からない。それでも、この魅力的な世界をたったの1作で終わらせるのはもったいない。芦辺拓にはぜひにライフワークとして、この世界ならではのミステリを紡いでいってもらいたいもの。出番の少なかったサリー・ファニーホウ嬢が、彼女ならではの才覚を活かして大活躍をする話など、読めたら読みたい。読ませて欲しい。


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