STAYリバース
双子座の女

 愛のかたちはいろいろで。それこそ人の数だけ存在して。けれども世間はそうは思っていなくって。たったひとつのかたちに愛を閉じこめようとする。

 だからそんな決まったかたちから。たくさんの愛がこぼれあふれてしまっているのに。世間はそんなあふれてこぼれた愛を愛とは認めない。見えないふりをして通りすぎる。

 あふれこぼれた愛を心に秘めて生きるのはつらい。切ない。くるしい。悲しい。そこから逃れたいと思って多くの人は世間がみとめるたったひとつのかたちに愛を削りとっておしこめる。

 それでもこぼれた愛は消え去らない。あふれた愛もやっぱり愛。認めてもらえなくたって。振り返ってもらえなくたってちゃんと存在し続ける。そんな愛を持って生まれた人の心の奥底で。

 「どうしたらいいのかわからない…」「…わたし」「わたし…どうしたら…」。そんな叫びに耳を傾け答えを指し示そうとしたのが西炯子の「STAYリバース 双子座の女」(小学館フラワーズコミックス、505円)。読み終えた時に人は愛のかたちを自ら変えて進む勇気を贈られる。

 坂本清雅と坂本涼雅は双子の高校生。ともに美形。父は地元の家電チェーンの社長で将来の社長夫人を夢見る女子が彼らの周りに群れ集う。もっとも弟の涼雅は明るいというより無節操。来る女子はこばまず向かう女子も手に入れては体を重ねて快楽をむさぼる。

 兄の清雅は生徒会長を務める清廉な性格。父親の後を継ぐことが決まっているから本当の意味での御曹司。なのに群がる女子には目もくれない。親切にはしても心は渡さずむしろ遠ざけ背を向ける。

 なにゆえに? それは清雅が”おんな”だったから。185センチの体躯。剣道は一流の腕前。けれども”おんな”である清雅の愛は”同性”の女子には向かわない。向かうのはただひとり。けれどもそれは口にはできない禁断の相手。沈む心を笑顔の仮面でおおって清雅は生きていた。

 そこに現れたのが刈川えりという少女。「STAY ああ今年の夏も何もなかったわ」(小学館フラワーズコミックス、505円)の連作短編に登場して男装の似合う麗人の玉井由美が持っていた願いをかなえ本当の自分を解放させた彼女が清雅の心も解き放つ。

 部屋でミシンを使ってスカートをいっしょにつくってあげる。清雅の爪をやすりでといでみがいてあげる。興味本位なんかじゃなくって。同情なんかでもなくって。未婚の恋人に死なれた自分の母親がそれでも自分を生んでくれた愛のかたちの大きさを清雅にも感じ取ってもらおうとして。清晴の背中を押し続ける。

 世間はなるほど甘くはない。世間が認める愛のかたちはとても狭くてとても固い。背中を押されて進めば進むほど清雅の前には壁がせまって立ちふさがる。嘆き諦めようとする清雅にえりは言う。「あなたはあなたでしかないわ」「もう前へ進みましょう」。

 諦めれば済んでしまったことなのかもしれない。一生諦めつづけさえすれば傷つくのは自分だけで済んだのかもしれない。けれども諦められない。諦めることなんてできはしない。それが愛。かけがえのない。愛。だから清雅は涼雅への想いと涼雅からの想いを身におびて勇気をふりしぼる。愛を貫くために前へと足を進める。

 どうなるのかはわからない。のぞむ愛のかたちをつらぬいたことで父の期待を裏切り母を悲しませ世間的金銭的につらい人生を送ることになるのかもしれない。世間の認める愛のかたちがとてつもなく固くて狭いこの国。そうなる可能性はひくくはない。

 だったら諦めるほうが幸せなのか? こぼれてあふれた愛を削り心に閉じこめいつわりの愛の形に身をおしこめるべきなのか? それはちがう。諦めてつかんだかりそめの幸せが後悔をこえることなんて絶対にない。そして後悔は一生を苛み続ける。

 ならば。だから。進むしかない。進んでぶつかった壁は進んで乗り越えることができる。「行く手には希望と光あれ」。こぼれおちあふれでた愛が世間をうめつくして輝きを放つ2人の未来に乾杯。これを読んで進み始めようと決意した大勢の人たちの勇気に乾杯。


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