スプラッシュ!

 ボートレースがテーマとは、またライトノベルらしくないなと思われがちなところだけれど、メディアワークス文庫はそういう固定観念から外れた作品が出てくる場所だから、実はあまり不思議でもなかったりする。

 というか、女子サッカー選手とか、ハンドキャリーの運送屋で働く元OLといった、あまり描かれない職業を題材にして、そこに生きる人間たちを描く物語をメディアワークス文庫で紡いで来た美奈川護。新たなバリエーションのひとつとして、ボートレースをテーマに選ぶのは、むしろ当然といったところだろうか。

 そんな美奈川護の小説「スプラッシュ!」(メディアワークス文庫、630円)。父親が厳格な剣道家だった家に生まれた長男の渡来陸が、父親の急死で大学進学を諦め、家族のこともあって就職を考えていた時に、父の葬儀にやって来て久々にあった叔父から、自分と同じボートレースをやってみないかと誘われ、選手となったというところから幕を開ける。

 ボートレースの選手を育成する学校で、卒業レースに優勝して将来を嘱望された陸だったけれど、母親に再婚相手が現れ、弟妹たちの面倒もその人が見てくれることになって、生活を背負った悲壮感から解き放たれ、かといって今さらボートレースの選手になることを辞めて、大学生の生活に戻る訳にもいかない陸は、そのままプロ選手となってすぐに臨んだレースで足踏みをする。

 デビュー戦の直前に、陸を誘った叔父が大事故で怪我をして、巻き添えに選手も1人死んでしまう。動揺した陸は、レースでフライングを犯してしまって、規定に従い1カ月の出場停止という憂き目にあって以降、どうもスタートが遅れ気味になって、なかなかレースで勝てない。才能がない訳ではないのは、学校時代のレースが証明しているけれど、立ち直れるきっかけを得られないでいた、ある日。駆け出しで強くもない自分を待っていて、サインを求めてきた美人の女性がいた。

 名を壱橋六花というらしい彼女のアプローチに気を良くしたのか、その後のレースでようやく初勝利をあげて、水神祭というお祝いの洗礼を浴び、さあこれからとなった陸の前に、いつかサインを求めてきた六花が現れる。新人のボートレーサーとして。

 男性も女性もお構いなしに、同じレースに出走するのがボートレースの特徴で、それは女性騎手がいる競馬でも、女性のレーサーがいるオートレースでも同様だけれど、ボートの場合は体力をそれほど使わないからなのか、割となりやすいからなのか、女性のレーサーも結構な数がいて、そしてしっかり活躍もしていたりする。

 そんな女性レーサーたちに混じって六花は、陸と同じように学校の卒業レースで並み居る男子を差し置いて優勝を果たしてしまうという逸材。そんな彼女がどうして、すでに学校入りが決まっていた時期に陸にサインを求めてきたのかがひとつ疑問となって陸を悩ませ、物語を動かす。

 陸に好意を抱いていた? レーサーの先輩として何か気になるところがあった? そんなポジティブな意見も、最初のうちは浮かんで漂った。けれども、やがて浮かび上がって来た六花の過去が、陸に不信感を抱かせボートレースの世界に憶測を呼ぶ。

 つまりは因縁だったのか。そして復讐だったのか。といったあたりから迫っていく六花の過去から浮かび上がってくるのは、不器用な人間たちの生きる世界は、やはり狭くて厳しいものなのだという感慨。そんな中でもあがいて頑張っていても、人間の心の嫉みや妬みといったものが迫ってきて、世界をさらに狭いものにしてしまい、弾かれ去っていく人もいたりする。

 それが日常茶飯事だと思い、憤り、嘆き諦めてしまうのが普通な中で、純粋に闇雲に真っ直ぐに生きている人間がいたことに気づいた心が、澄んだ水を求める気持ちに従う行動でもって近づいていったひとつの形が、いつかの陸と六花との邂逅だったのだと分かってくる。

 真面目に生きる姿が自分を助け、他人を導く。そして恋の始まり……はやはりないのかな。そこは互いに認め会ったライバルとして、水上で真っ向から戦い続けるといった感じ。数年を経ても、名字が別々だということはつまり、そういうことなのだろうし。どちらかが空気の読めない朴念仁で、収まる場所に収まらないのか、そういう関係ではあり得ないくらいにライバルなのか。ちょっと気になる。

 「ヴァンダル画廊街の奇跡」シリーズから一変して、メディアワークス文庫で「特急便ガール!」「超特急便ガール!」と働く女性の厳しくも不思議な日々を描いた美奈川護らしい、社会に生きて仕事に邁進しながら、人生についても感じ考える人たちを描いた物語。続くような展開にはなっていないから、これで終わりだろうけれど、でも見てみたかった、どちらかがレースに勝って賭にも勝って、「自分のものになれ」と言う時を。

 勝つのはどっちだろう。やはり六花だろうか。純真ぶってみせていて、なかなかの策士といった感じだし。


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