双晶宮
 双子に生まれたかったって人、結構いるんじゃないでしょうか。離れたところでも意思が通じ合えるって神秘的な話とか、ときどき入れ替わっていたずらをしたとかいった双子にまつわる数々の逸話を聞くと、双子って存在が、なんだかとても魅力的なものに思えてきちゃうんですよね。

 でもここでハッキリと言っときます。双子なんてなるもんじゃない。同じ歳ってことは同じ学校に同じ学年で通ってるってことでしょ。それはもう比べられるのなんのって。かたやクラブでは部長、スポーツは万能、休日ともなるとファンの女の子が家におしかけて来て、窓から手を振ってくれないかと待ち受けてる。こなたクラブは途中で辞めて帰宅部の毎日、スポーツはやらないからいいところは見せられず、女の子からは電話どころか話しかけられたことすらない。

 なにも双子じゃなくたって、同じ学校に通ってる兄と弟で、同じような目にあうことだってあるでしょう。けれども、同じ家に住んでる同じ歳の人間で、こんなに差が出るってのはやっぱりこたえます。自分の場合は双子でも二卵性だったから、同じ顔でこの差はなんだって気持ちは持たなかったけど、やっぱり心の傷にはなりますね。ただでさえ内向的だった性格がますます内に向かうようになり、本や漫画やテレビといった二次元世界に閉じこもり、あげく立派な「ヲタク」が出来ちゃいました。まあ、性格がまるきり違っていたってことで、同じ家に二人も「ヲタク」が出なくてよかったともいえますが。

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 しかし、小説や漫画の世界では、双子はまだまだ神秘的な存在として見られているようです。遠野一実さんという人の「双晶宮」(偕成社、上下各980円)は、双子のなかでも母親のお腹の中にいる間に、片方がもう一方の体の中に取り込まれて消えてしまう「ヴァニシング・ツイン(消滅したかたわれ)」が登場するファンタジー・コミックです。現実でも、こういった現象が発生することはあるのですが、「双晶宮」のストーリーでは、取り込まれれば普通は消滅してしまう、というより胎児の段階から育たなかったわけですから一度たりとも持ち得なかったはずの一方の意識が、生まれることのできたもう一方の意識に代わって表に出て、持つことのできなかった体の感触を味わい、受けることのできなかった家族や友人たちの愛情を求めるのです。

 双子として生まれるはずだった少年、片岡晶は歌舞伎役者の次男として育ちました。幼いころから踊りや演技に才能を発揮して、将来を嘱望されていたのですが、家族や兄弟、そして踊りの才能を認められ、自分の家に預けられていっしょに育った空也への反発からか、晶は歌舞伎役者への道を進むことを辞めてしまいます。

 ある時、新幹線に乗り合わせていた叔父と、空也の婚約者という少女といっしょに事故にあい、自分の意識がなかったのにも関わらず、二人を助けて病院にかつぎ込まれたことを知らされます。病院で撮ったレントゲンには、お腹の中に取り込まれた「ヴァニシング・ツイン」が映し出されていましたが、晶は夜中にそのレントゲン写真を焼き捨ててそのまま病院を抜けだし、別の事故で入院中だった母親の元へと向かいます。眠りについていた母親の横に立って、晶はこう呼びかけます。「千晶よ お母さん 合いたかった・・・・」

 それから先、晶の目を通してあこがれていた空也への愛や、自分を抱きしめることのなかった母親への愛、晶が辞めてしまった踊りへの強い欲求が一気に吹き出し、千晶はたびたび晶の体を乗っ取ります。晶の口を借りて再び役者への道を歩むと宣言し、踊りの稽古を通じて空也に近づいていきます。けれどもリアリストの(あるいは鈍感な)空也は、千晶の存在を決して認めようとはしません。

 「ヴァニシング・ツイン」が内蔵を圧迫する苦しみに耐えながら、晶(千晶)は踊り続けます。空也の婚約者で、日本舞踊の宗家に生まれ、後を継ぐことが決まっている咲耶、咲耶と双子の姉妹で、才能を認められながらも晶と同じように家を継ぐことを辞めてしまった花蓮といった登場人物たちを交えて、華麗で厳しい歌舞伎や日本舞踊の世界を舞台に、決して結ばれることのない、哀しい恋の物語が繰り広げられます。

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 花蓮と咲耶の姉妹もまた、見えないものを見る力を持った神秘的な双子です。現実の双子を身を持って知っていると、こうした設定に反発を覚えることもありますが、自身ふいに口をついて出た鼻歌がまったく同じ曲だったとか、同じような場所を怪我したりとかいったことを、1度ならず何度も経験しているだけに、少しぐらいは神秘的なところがあるんじゃないかと、最近は思うようにしています。そう思っていた方が楽しいってこともありますけど。

 実はこの歳まで、遠野一実さんという人を知りませんでした。どんな絵でどんな話を書く人なのか、まったく知らなかったにも関わらず、この「双晶宮」を手に取ったのは、双子の神秘を否定しながらも、実は心の奥底で、双子に神秘的なところを求めたがっていた現れではないかと思います。絵柄もストーリーも大変気に入りました。双子に興味のある人もない人も、歌舞伎や日本舞踊に興味のある人もない人も、是非読んでみて下さい。もしかしたら存在したかもしれない自分「かたわれ」に思いを馳せてみたり、努力して勝ち得た才能が生まれつきの才能に抱く嫉妬に自分を重ね合わせてみたり。とにかくいろいろなことを考えさせてくれますから。


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