The S.O.U.P.
ザ・スープ

 死にたくない、と思う人間の気持ちはそれこそ太古の昔からあるもので、それでも避けられない死を乗り越えるために、エジプトではミイラを作って肉体を保存し、抜け出た魂が戻って来る日を夢見ようとしたし、仏教では輪廻転生を説いて魂が未来に生まれ変わり、永遠に存在する可能性を信じさせようとした。

 現代では差詰めコンピューターが宗教の代わりに転生なり、生命の永続を人に期待させる役割を果たしているようで、例えば藤崎慎吾は「クリスタルサイレンス」(朝日ソノラマ、1900円)でコンピューター・ネットワークに精神を移そうと企む資産家を描いていいるし、平谷美樹も「エリ・エリ」の中で神の叡智を極めたいと願う神父の意識を電子化させる。

 もっとも、幾ら技術が進んでこうしたことが現実に出来るようになったところで、今、この自分が持っている意識が肉体を越えてネットなり、コンピューターの上に再現されるものでは決してない。客観的には同じような意識に見えても、主観的には意識は肉体の死とともに途絶え、どこかへと消えて行く。死が乗り越えられないものである以上、意識の永続もまた絶対に乗り越えられない。だから人は多分、というより生命はおしなべて子を成し、遺伝子に乗せて自分が生きた証を残そうとするのだろう。

 ただし、自分自身の意識の永続でなくても構わない、証がどこかに残っていれば良いというのであれば、コンピューターなりネットワークの可能性はとてつもなく魅力的に映るものらしい。川端裕人の「The S.O.U.P.」(角川書店、1800円)に描かれるのも、ネットワークが持つ可能性に取り憑かれた男が、己の証を遺し且つ、発達させていこうと企んだ結果起こった世界規模での混乱と狂騒の様だ。

 人気ネットワークRPGを2人の仲間と作っで大成功したものの、見解の相違もあって今は一人、東京でネットセキュリティのコンサルタントをしている周防巧が、経済産業省に勤務する小杉麗子と名乗った女性から、経産省のホームページへを攻撃する相手を突き止めてくれ、という依頼を受けた所から物語は幕を開ける。ほどなくして敵の正体が、世界を騒がしているクラッカー集団「EGG」だと明らかになるが、そんな彼らから助けて欲しいと、かって伴にゲームを作った仲間が助けを求めて来たことから、半ば隠棲状況にあった周防巧の人生が、再び大きく動き始める。

 ネットワークRPGに没入した挙げ句、現実と非現実との境目がなくなるくらいに没入してしまう感じといい、ゲーム会社を作ったシナリオライターとプログラマーとグラフィッカーが、それぞれに他のメンバーに対して劣等感と優越感を抱きつつ、次第に仲違いしていってしまう構図といい、適度なリアリティがあって「こういうことってあるかも」と頷かされる。

 ハッカーの歴史、クラッカーの活動、インターネットの発達といった部分への言及も同様。さまざまな書物やネット上の情報に当たり、専門家への取材によって集めた、広範で正確な知識が物語の中に巧みに折り込まれており、読んでいるうちにそれぞれの分野でちょっとしたオーソリティーになれる。これからの世界を脅かすサイバー・テロとはいったい何か、それがもたらす恐怖とはどういったものなのか、対処するにはどうしたら良いのかを示唆している内容は、数々の「ウィルス」が生みだされてはコンピューター社会を混乱に追い込んでいる今、まさに読まれるべき重要さを持っている。

 分けても興味深いのは、「人工生命(アーティフィシャルライフ)」に関する言及だ。ネットワークを情報の”海”としてとらえ、そこから生まれてくる”情報生命体”とでも言うべきものの可能性を感じさせて、気持ちを踊らせてくれる。現実に、日本でも95、6年頃、コンピューター上のデータが他のデータと”交配”を繰り返しながら”進化”していく様を観察し、分析することで生命がどうやって発生し、どうやって進化して来たかを解明しようとする実験が行われていた。物語に登場するネットワークRPGの名前として登場し、タイトルにもなって物語全体の主題を示唆する「スープ」という単語が暗喩するのも、そうした新しい生命の誕生を促す海としてのネットワークの可能性だ。

 重ねて言うが自分が今まさに意識しているこの意識は、コンピュータ上にもネット上にも絶対に移せはしない。客観的に移せたところでそれは決して自分の意識ではない。物語の中で闇にうごめき事件を引き起こす人物の願いがそこにあったのだとしたら、それは報われることのない愚かな企みだったと断じるよりほかにない。人間は永遠には生きられないし、意識は永遠には残せない。

 むしろだからこそ、人は自分の生きた証を遺したがる。自分史を遺し、墓石に辞世の句を刻み、誰に読まれるともない日記をウェブ上に書き散らす程に人は己の生きた証を遺し、伝え、広めたがっている。そうした手段のひとつであり、自分の証を遺し存続させつつ発展させられる可能性を持った場としてとらえるなら、ネットやコンピューターはとてつもなく魅力的なツールと言えるだろう。

 「クリスタルサイレンス」や「エリ・エリ」が描き出す、コンピューターやネットワークが感じさせる無限の可能性はこの本では描かれない。エジプトのミイラ、仏教の輪廻転生、キリスト教やイスラム教の天国といった宗教に根ざした夢も見させてくれない。けれども無制限の可能性をそこに見ず、オカルトにも宗教にも流れることなく、出来ないことが何かをわきまえさせ、出来ることへの希望をネットなり、コンピューターに抱かせてくれる書物として、「The S.O.U.P.」は大いに役に立つ。地に足を付けつつ、未来に向かった新たな一歩を探るための糧として、本書を読み、メッセージを受け止めたい。


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