そして二人だけになった
Until Death Do Us Part

 信じること。信じれば見えないものが見え、聴こえないことも聴こえる。前向きに現実を切り開いていきたいなら、信じれば背中を押してくれる”天の声”が聴こえるだろう。後ろ向きに妄想の世界へ閉じこもりたいなら、信じれば永遠の安寧を与えてくれる”時のゆりかご”が見えるだろう。

 信じること。自分自身を徹底的に信じ込むことが、辛すぎるこの世界で生きていくために不可欠の心理なのだと、そう語りかけられているような気に、森博嗣の「そして二人だけになった」(新潮社、2000円)を読み、なった。

 この、大がかりに張り巡らされた、幾重にも重なる謎解きに呆然とさせられるのが真っ当な印象と、多数の人が感じるであろう小説のどこに、どうして信じ込むことの重さが語られているのと問われても、満足の行く答えは明示できない。そう感じただけ、そしてそう感じて欲しいと勝手な思いこみだけを語るに止めて、以下は本筋をかいつまんで描いていこう。

 まず1人の天才科学者がいる。勅使河原潤、選考は物理とも数学とも。美貌。そして盲目。若くして高い業績を上げ、世界から高い評価を受けたものの、今は象牙の塔より極めて俗な分野で、その才を発揮している。彼には母親の異なる弟がいて、顔立ちが潤にそっくりだったことから、潤の身代わりとして時折テレビに出たり、対談といった仕事をアルバイトがてらこなしていた。本書の語り部の1人が、この潤の弟らしい。

 そして1人の女性がいる。森島有佳、潤のアシスタント。目が不自由だという潤を助けて仕事を手伝い、時には身の回りの世話もする。彼女にもこれは当然ながら顔立ちがそっくりな双子の妹がいる。本書のもう1人の語り部が、その由佳の妹という女性らしい。

 舞台は瀬戸内海に浮かぶ巨大な橋の基礎部分ともいえるアンカレイジ。コンクリートの円柱の中に、宇宙ステーションにも匹敵する密閉性を持つ一種のシェルタが、潤を含むメンバーによって作られていた。そして物語は、潤が他のメンバーたち一緒に、シェルタにしばらくの間住み込む実験を始めるところから幕を開ける。

 実は潤は参加しなかった。参加したのは彼と良く似た身代わりの弟。そして有佳も参加していない。参加していたのは彼女とそっくりな身代わりの妹、潤の身代わりがまず語り、有佳の身代わりの妹が次に語る章立てで進んでいく物語は、互いが互いに身代わりだとばれないように気を使いつつ、他の参加者にも気付かれないよう慎重な態度を取る様に、緊張感がみなぎる。

 だが、参加者の1人が殺され、別の参加者が殺されていく事件が地震か何かの衝撃によって、完全に密室となったアンカレイジ内で発生するに至って、緊張はむしろ猜疑心へと変わり、誰が犯人か解らない中で、互いを信じ合う潤の弟と香佳の妹の関係や、有佳(実は妹)を犯人らしいと邪推する女性科学者に反発しつつ、逆に彼女が犯人ではと脅える有佳の妹の揺れる心理などが描かれ、読者は誰も犯人ではありえない描写によるシチュエーションに、激しい混乱を来す。

 解決編へといたる道程で、1つには壮大無比なアンカレイジの”しかけ”が示され、まず驚きの中で読者は冒頭より本書を読み返してみたくなるだろう。さらに同じ事件の恐怖を味わった潤(の弟)と有佳(の妹)との、実はと明かされる展開に、再びの読み返しを初め、ほころびが無いことを確認して著者の才覚に酩酊するのだ。

 そしてさらに提示される事象こそが、冒頭にも掲げた信じること、信じ切ることの重さをよくよく示すものなのだが、どちらかといえば”時のゆるかご”に近いその信じた結果を考えた時、1つ2つ納得できない部分がある。説明できないのが歯痒いが、遠回しに触れるなら、その結果を導くために人は、相当の時間に相当の苦しみを味わい、相当の哀しみに打ちひしがれねばならないことが、この10数年間、現実世界で頻繁に指摘されるようになっている。

 小説として、シチュエーションから導き出される心理を探求すればそれで良いんだと、自らを納得させるに吝かではないが、偶然幾つかの類書を読んでいた身には、それを安易と見る人がいることもまた、認めるに吝かではない。ただし物語が惹起する、大仕掛けへの驚嘆とドンデン返しの呆然に、いささかの齟齬も来してはいないことをはっきりと申し上げておく。

 と同時に、ラストの違和感もあるは信じ込み、信じ抜かねば生きていけなかったように、彼ら、彼女らの心はガラスのように繊細だったと言えなくもない。少なくとも、他人たちの間で自らを相対化させて生き抜くよりも、奇跡の空間で絶対的な自我を育てて閉じこもる方が、今のこの世界では生きやすいのは確かだから。

 信じること。そう信じて読んだ本書の解読もまた、信じ抜いた果ての我侭かもしれない。お許しあれ。


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