空トブ人ビト 

 トマス・ピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」に登場する「トライステロ」ではないけれど、郵便という仕事にはどこか謎めいて、そして高邁なスピリッツが感じられる。いや、感じられたというべきか。

 どこかの国では長髪の元総理大臣が、金科玉条のどとく「郵政民営化」を掲げ続けて数10年。その言葉の通り、前島密が明治に築いた官業としての郵便事業は解体され、前島が戦った飛脚をマークとする運送会社ほかと競合する民間企業として、07年秋から新たな活動を始めている。

 なるほど、サービスの質をこそ旨とする民間企業と競合することによって、郵便のサービス向上を図ろうとする意図は理解できる。ただ一方で、民間企業として何より利益が重んじられる体質の中で、サービスは果たして普(あまね)くすべての人たちに共通のサービスと成り得るかという疑問がある。

 過疎地へと運ぶ荷物や手紙が、隣町へ運ぶ荷物や手紙と同一料金であるべきか否か。官業の頃には議論にすらならなかったユニバーサルサービスの概念が、民業となった郵便の上にのしかかって来てそして、格差当然といった雰囲気の醸成が始まっている。

 もうひとつ、民業として果たしてどこまでモラルが保たれるのか、といった点も気がかりだ。民間だろうと官業だろうと、決まりを破れば信頼を失い顧客を失うことは変わりない、だからモラルは保たれるという見方も出来るけれど、一方に利益という足かせをはめられた存在が、利用者へと向けるべきモラルを内向きに向けて発揮する可能性は皆無ではない。だからこそ、民間企業では現実にさまざまなモラル破りが起こっては、事件に発展している。

 官業であることとモラルが維持されることは一致しない。けれども目的が金銭的な利益だけではない、公の利益に資するべき存在である官業の一員であるという意識は、モラルの保持に何らかの形で寄与し得る。サービスの質も、配達の速度もなるほど重要で競争するのは良いことだけれど、何よりも求められているのは相手に確実に届くこと、これより他にない。

 公の存在であれば、そうした活動にプライドを抱き使命感を覚えて活動する意欲を持てる。頑張って届けても、時間がかかり過ぎてコストもかかりすぎたと言われて果たして配達員のモラルは保てるか?

 元総理の叫びに動かされ、尻馬に乗ったメディアに煽られ成し遂げられた郵便事業の民営化によって、失われたものの大きさはいずれ見えてくるのかもしれない。と、そんなことを三上康明の「空トブ人ビト 青イロ発光ウサギ」(集英社スーパーダッシュ文庫、590円)という小説から考える。

 主人公は、通信士という日本で言うなら郵便配達の配達員に相当する仕事に就いているハルタという少年。自転車でもバイクでもなく、空を浮かんで飛ぶ機械を操って配達している。エーテルで動くその機械を他に使えるのは空軍だけ。つまりそれだけ郵便という仕事が世界において重んじられているということで、集まって来る人材も腕に覚えがあってなおかつ、仕事に使命感を持った者ばかり。ハルタもそんなひとりで、同じ通信士だった祖父に憧れその道を選んだ。

 いわゆる学問では今ひとつながらも、飛行機を操縦する腕前だけは通信士の仲間内でもナンバーワン。それは街でも有数の資産家の子として生まれ頭脳も明晰なら操縦の腕前も確かだったルパーすら上回るほどで、負けたルパーはハルタを認めその腕前に学ぼうとして、ハルタのパートナーになって今は一緒に空を飛んでいた。

 2人に絡むのがサヤという陸軍大臣の娘で、ルパーと半ば恋仲だったりするサヤとルパーをハルタは祝福しつつ、彼は彼で祖父がかつて就いていたという「国際通信士」なる存在に、どうにかなれないものかと思案していた。

 もっとも、どこに行っても「国際通信士」なる組織を運営している所はなく、どうやったらなれるのかも分からない。ただ存在だけは伝わっていて、金などとらず何であっても確実に国と国との間をまたいで荷物を届けることを仕事にしている、という話だった。金でもなければ勲章のような栄誉でもなく、ただひたすらに己が使命感にのみ従う通信士の中の通信士。いつかそこに近づきたいと思いながら、ハルタは日々の仕事に精を出していた。ところが。

 誤解がすべてをぶち壊す。サヤがハルタと連れだって、ルパーに贈るプレゼントを探しに行った姿を見て猜疑心を芽生えさせたルパーは、空からやって来た商団「ギガント」に襲われたところを交渉によって追い返したハルタとサヤの行動を、意図的なのかそう信じたのか、国家に対する叛逆をみなして2人を告発。サヤは捕らえられ閉じこめられてしまう。

 「ギガント」が動いていたのは、、世界の国々に平和を保つ象徴として配られた秘宝を、再び集めようと画策する動きに絡んでのもの。ハルタは秘宝らしきものを守ろうとしただけ。それなのに。こうして起こったシリアスな事態がハルタの運命を大きく変え、そして祖父がかつて担っていた「国際通信士」という謎の仕事へとハルタを導いていく。

 勘違いから嫉妬することは割にあるとこ。とはいえ直前まで好きだった女の子に国家への叛逆という死罪相当の罪を着せ、牢屋にたたき込む男子の嫉妬ぶりはいささか常軌を逸している。それだけ好きだったということの裏返しとしても、せめてもう少しは冷静な所を見せて欲しかった。あとになって悔いてももう遅い。死を自らに賜ろうとした男を女が信じられるか? サヤの心情がつまびらかには描かれていないだけに気にかかる所だけど、これで許せる人間だとしたらサヤこそが本編でももっとも高潔な人間ということになるだろう。

 ずいぶんと昔に「ストーン ヒート クレイジー」(集英社スーパーダッシュ文庫)という小説で、雑多で活力のある世界を生きるエネルギッシュな少年少女たちを描いた三上康明だけあって、「空トブ人ビト」に描かれる世界もなかなかに独特。そして生きる少年少女たちも誰もが熱を持っている。わけてもハルタの「国際通信士」になりたいという熱意と、そして「国際通信士」という職務が持つ高邁さが読む人の心に響く。こうして開けた物語。故郷を出奔して夢に近づいたハルタが飛ぶ世界はどんな姿をし、そしてどこへと向かうのか。

 今度は早く、そして確実に続きの物語を、通信士という職務に必要な高潔さと勇敢さをよりつまびらかにして、信念が失われつつある現代に釘を刺すような冒険の物語をお願いしたい。


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