INNOCENT GIRL DAYDREAMING
空色パンデミック

 妄想が、自分だけを変えて周囲から鬱陶しがられている分にはまだ良いし、周辺もいっしょになってつき合ってあげるなら、それはそれで美しい光景だ。けれども妄想が、個人の内的な思考の範囲をこえて、力となって自分自身を変化させ、世の中をすべて変化させてしまうとしたら、それはもはや自然災害。妄想の主を確保するなり、隔離するなりして遠ざけるしか他に道はない。

 そんなことはあり得ない? でもあったとしたらどうしよう。例えば本田誠の「空色パンデミック1」(エンターブレイン、580円)に描かれているような、妄想が実体化してしまう“空想病”なる病が発生した世界では、物理的な力を持った妄想の爆発的な広がりが、世界を核戦争の1歩手前という、滅亡の縁にまで追い込んでしまったことがあった。

 これは拙いと悟った人類は、空想病を発症した患者は、妄想がまだ個人の内に止まっている軽症の時から、将来の悪化を見越し周辺への影響も考えて、その空想を早期に収束させる手だてを高じるようにした。仲西景という少年が、高校受験のために出かけた駅のホームで巻き込まれたのも、そんな空想病患者の発作を抑える手だてだった。

 そこでは見たこともない少女が、自分を正義の味方と信じ、そして景をジャスティスなる者の仇、ピエロ・ザ・リッパーと認めて勝負を挑んできた。どうにか少女を見守る国の機関の対応で乗り切ったものの、発作を完結させられなかった少女は、少年の高校入試の会場へと乗り込んできて、面接中の席でひとしきり正義の味方を演じた後、ようやく発作を収めて帰還する。

 それで終わったかというと、そうとはならず少女は再び景の前に現れては、日常をいっしょに過ごし始める。穂高結衣という名の少女にとって、空想病だからと隔離されて来た暮らしは、誰との交流も持てなかった暮らしでもあった。そうした日々で積もった寂しさが、結衣を縁が生まれた景へと向かわせた。

 その寂しさは相当に結衣の心に刺さっていた様子。景の学園祭で生徒たちによる出し物の演劇が行われる機会があって、そこに引っ張り込まれた結衣が起こした発作が招き寄せた、演劇のストーリーを変更してしまう“暴挙”に、寂しさをかみしめて生きてきた心の叫びがのぞいて見えた。

 それに気づいた景は、最初は迷惑に感じていた結衣の存在に、だんだんと惹かれていく。隔離され、虐げられ差別される立場への同情が、友情をこえて恋情になっていって、クライマックスの世界の命運と、少女の運命を天秤にかけた壮絶なラブストーリーへと向かっていく。

 考えようによっては空想病は、1人の少女に絶望にも似た寂しさを抱かせるほど、世間から恐れられている病気だとも言える。景と共に面接を受けていて、結衣の乱入に対し身内に空想病患者がいるからと冷静に対処してみせた青井晴という少年の、どういう主義からか制服が決まっていないその高校で、女子向けに提供されている標準服を選んで着ている行為の裏にある、複雑すぎる事情もまた、空想病のもたらす影響の凄まじさを感じさせる。

 その恐ろしさが、空想病患者に対する更なる隔離、あるいは存在の排除へと向かわないという保証は果たしてあるのか? それは現代にもある異端とみなされた者たちへの、言われなき差別へと向かいかねない恐れとも重なって来る。踏みとどまるには何が必要か。勇気か。愛か。それとも踏みとどまるべきではないのか。それはあり得ないならやっぱり愛する気持ちを育むしかないのか。

 ぐるぐると回る思考。その向こう側に浮かんで来る、結衣と景のそれでも僕が君を守ると断じる格好良さが、虐げるよりも退けるよりも愛して受け入れることの気持ちよさを感じさせる。

 田中ロミオの「AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜」(ガガガ文庫)が、リアルな現実に止まったままで、個人が抱くバーチャルな思いも愛するべきだと唱えた物語なのだとしたら、「空色パンデミック」はバーチャルな世界に陥ったとしても、そこにリアルを感じて愛し慈しもうと訴える物語だと言えそうだ。

 とてつもなく強いメッセージを打ち出せる力に加え、クライマックスに配された結衣のとてつもない空想の爆発と、それに巻き込まれてしまった景とのエピソードを紡ぎ上げた技巧の高さ。未来に期待が持てそうな作家がまた1人、誕生した。

 読み終えて悩ましく感じるのは、青井晴が入浴や用便の時にいつも何を考えているのか、といったところか。自分にはやっぱりそう見えるのか。ペタンとして、ぶらんと下がっているように。だとしたらやはり空想病は、なかなかに恐ろしくて凄まじい病気、なのかもしれない。


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