ソルティ・ラッド −狭間の火−

 ただそのように生まれついて、生きるために人の血を飲む吸血鬼より、身勝手な感情のままに他人を傷つけても厭わず、悔いもしない人間の方がよほど厭うべき怪物なのかもしれない。それが、毛利志生子の「ソルティ・ブラッド −狭間の火−」(集英社オレンジ文庫、590円)という物語を読んで浮かぶ感情だ。

 キャリアとして警察に入った宇佐木アリスは、現場の研修として配属された京都府警で刑事課に所属して、お目付役の刑事とともに捜査の現場に出る。上は極力、大きな事件には関わらせないようにしているけれど、かつて経験した悲劇が引き金となって発動した、一種の異能が働いているのか、アリスがふらふらと歩いていった先には、いつも大きな事件が転がっていて、上もお目付役も気が気ではない。

 国から預かったキャリアの経歴に傷を付けたら、同僚たちだけでなく県警本部までもが警察庁からにらまれる。だから、現場としても事件に首を突っ込んでくるのはご遠慮願いたいと思っているし、アリス自身も正義感で突っ込んでいくタイプではなく、周囲の思いを汲みとり自制してはいる。それでも働く『オカルトちゃん』の能力は、アリスを吸い寄せるようにして奇妙な事件へと向かわせてしまう。

 その事件も、発端こそ通報を受けて、大学で起こった放火事件を検分に行っただけだった。ところが、アリスが現場で気になる青年を見かけたことが尾を引くように、後々の事件へと発展していき、そこでアリスの能力以上にオカルティックな存在が浮かび上がってくる。それが吸血鬼。人の血を吸い、その際に記憶を操作する異能の力をもった生き物たちだった。

 血を吸い過ぎればもちろん相手は死んでしまうた。そうやって人の命を奪ってしまう吸血鬼もいないわけではないけれど、現代において人の死はすぐに露見し、追い詰められるために、多くが自重せざるを得なくなっている。人から直接血を吸うことをしないで、溜め込んだ血液パックを飲むだけにとどめている吸血鬼もいるという

 アリスの眼に止まった天川理市という名の青年は、血は吸うけど殺しはせず、便利屋として生計をたてながら、時々女性に近づき血をもらうといった暮らしをしていた。その彼が、便利屋として起こした事件がアリスが行き当たった大学の放火事件だった。犯人が理市とは知らず事件を追う彼女は、ひったくりにあったところを助けてくれた人のお礼かたがかた、休暇中に尋ねた和服の店で放火事件で被害を受けた大学教授の婚約者と知り合い、また出向く先々で理市と出会って事件に深く巻き込まれていく。

 浮かび上がってくるのは、人が生きていく上で積み重なってきた悲しい過去であり苦しい思い。辛い生活を送る中で育まれた友情が、歪んでしまった時に現れる憎しみや嫉み、そして寂しさといった感情。それらを人間らしいとみることは可能だけれど、行きすぎるとやはり問題を生む。そして他人を傷つける。

 すべてを達観して生きる吸血鬼の方がまだ、誰も傷つけずむしろ幸せにすらしているというのに、人間はどうして誰かを傷つけずには生きていけないのか。それもまた人間の業であり、吸血鬼では得ることのできない経験でもあるのだろう。出会って腐れ縁のようになったアリスと吸血鬼による物語はまだ続くのか。今は京都にいても、いつか研修は終わり本庁へと戻るだろうアリスとともに、理市も上京してまた腐れ縁のような事件に絡むのか。

 吸血鬼という訳ではないものの、長く生きている存在が短命の人間の生活に紛れ込んでいシチュエーションは、ゆうきまさみの「白暮のクロニクル」とどこか重なる。オキナガとして存在を認められ、隔離されたり管理されたりしながらも存在を許されているオキナガですら、奇異な目で見られているのだから害はなさなくても血を吸い、あり得ない状況を作り出せる理市ら吸血鬼の存在が露見した時、どれだけのことが起きるのだろうか。そんな興味にも誘われる。

 いろいろと続きが気になる物語だ。


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