屍竜戦記

 人間の叡智を結集して、地球の環境を崩壊から救おうなどといった意見が出るたびに浮かぶ言葉は「傲慢」であり「愚劣」だ。なぜなら、地球の環境をほかのどの生き物よりも害して来たのが人間だ。自ら痛めた地球を自ら救おうとする。これを傲慢と、愚劣と呼ばずして何を呼ぶ?

 人間ほど愚かしい生き物はない。くだらない意地を張って反目し合う。恨みの心だけで突っ走っては別の恨みを買う繰り返し。すべてを愛せよ、などと説く宗教も、信者の埒外に置かれた者たちを異教徒だと誹り、教徒であっても教義が違えば異端者と罵して迫害する。

 そんな人間たちに比べれば、ただひたすらに生きることに真っ直ぐな生き物たちの方が、よほど美しくて気高い存在なのではないか。たぶん生きる人間たちの心に常に潜むこの疑問を、竜との戦いを通じて描いたのが、片理誠のファンタジー作品「屍竜戦記」(徳間ノベルズEDGE、905円)だ。

 舞台は大陸。ともに同じ神を仰ぎながらも、東は共産の博愛を説く真ヴァ・シ・ド教の教義に厳重に従う教国となり、山脈を挟んだ西は競争の幸福を説く汎ヴァ・シ・ド教を信じる四王国に別れては、教義の違いを理由に争いを繰り返していた。

 砂漠にあったその村も、真ヴァ・シ・ド教国の配下にあっため四王国連合に攻められ、村人たちは軍隊に襲撃されて滅亡の寸前にあった。火に焼き尽くされようとしていたその時。宗教の対立をやすやすと超えた、畏るべき存在が飛来して争っている人々を、真も汎も関係なしに敵も味方もなく踏みつぶし、食べ尽くした。

 竜。100年ほどの眠りを経て蘇っては、人を襲い眠る繰り返しを続けながら、人間たちと争っていた竜が目を覚まし、襲ってきたのだった。“天敵”とも呼べる竜の襲来に、もはや宗教の違いで争っている場合ではないと、教国と王国は和睦し、共同で竜に立ち向かうことになった。

 武器となるのは、教国で開発された、死んだ竜の中に埋め込んだ水晶を通じて、竜へと心を移して屍を操る「屍霊術」のみ。かつて滅びた砂漠の村に生まれ育った、ヴィンクとメルタナという2人の少年は、竜を操る「屍竜使い」となって、村を襲った巨大な竜、棘黒にいつか復讐することを願っていた。

 ともに才能を認められ、「屍竜使い」となったヴィンクとメルタナが最初の任が与えられた。赴くことになったのは、皮肉にもかつて自分たちの国を滅ぼそうとした四王国のひとつナフリ。しかしそこを襲っていたのが仇とっも棘黒とあって、2人は複雑な気持ちを抱きながらも、ナフリに入り親戚や仲間を食らいつくした巨竜に挑む。

 和睦しているとはいっても、教議で長く対立していたナフリに滞在することだけでも不安な上に、教国から大使として送り込まれていたベアナという名の司教が、神経質な上に権力志向の俗物だったからたまらない。何か起こるたびに自らの立場を声高に叫んでは、ナフリの人たちの神経を逆なでする。

 竜を相手にできる「屍竜使い」を擁するのは自分たち教国だけという優越感が、ベアナを増長させていた。日々、大勢の人たちが竜に襲われ死んでいく中で、教国の立場をさらに強めたいからと、ヴィンクとメルタナにも出撃を見合わせ、有り難みを見せろといった要求をして来る大使の言動に、2人は憤り、けれども面前と逆らえないでいた。

 もっとも竜に襲われているナフリ王国を含めた、同じ教義を戴く四王国側も、権力者が富を握り、弱者が町の外で竜に食われる様を表では心配しながら、裏ではやっかい払いできるとほくそ笑む、これまた俗な者たちばかり。博愛を説く教義に純粋な2人は、そんな態度にこれも我慢がならず、どちらの見方をすべきなのかを日々悩んでいた。

 とりわけヴィンクは、純粋な上に直情型で、大使の言い分に従い民が死んでいく様を見たくないと反発し、国民を平気で見捨てようとする王国の権力者たちに怒り、故郷を滅ぼした赤い巨竜への復讐心に燃えてい引き時を見誤り、果てはとりかえしのつかないことをしでかして、大切な仲間を失ってしまう。

 外には倒しても退けても襲ってくる竜。内には教義の違いで争い合う人間たち。もはや絶望するしかない状況。それなのにヴィンクは心の純粋さを捨てきれず、最後の最後まですべての生命が、それは人類に限らず、すべての生けとし生きるものが幸福であれと願う。そんなヴィンクの心に呼応したもの、それは……。

 どこまでも傲慢で、果てしなく愚劣な人間に憤り、滅びてしまえと願いたくなる気持ちが浮かぶこともある。けれどもそれをしてしまえば自らも俗な人間と同じ地平に堕ちるだけ。大切なのは思いを貫き通すこと。それだけが人類のみ成らず地に生きるすべての存在に明日をもたらすのだ。

 ナフリ王国でヴィンクたちの周りに起こる事件の、ミステリー的な解決がなされるエピソードは興味深く、ページを繰らせる役目を果たすし心に入り込んで屍を操る技術という設定も、時には屍に心をのまれる危険性があって緊張感を誘う。しかし繰り出されるメッセージの前にはすべてがかすんでしまう。些末なことで争う人間の醜さを逆に思い知らされる。

 人間にとって普遍とも言える悩みに一筋の光明を見出し、明日を期待させる感動の物語。そして、竜と人間との長い、それとてつもなく長い戦いに終止符が打たれる可能性を見せて、宇宙の平穏に導く感銘の物語。傑出した物語の登場を人間は喜び受け入れ、学びそして歩み出せ。


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