知る辺の道

 妖怪やら霊魂が見えてしまう暮らしって、楽しいんでしょうかそれとも怖ろしいんでしょうか。いきなり目の前に血まみれの姿で幽霊が現れ、ギロリと睨んで来たら驚くかもしれません。角の生えた巨大な獣が現れ吼え掛かってきても一緒です。いなくなってしまえとか、逃げ出したいとか思うに違いありません。

 でももしも、そんな妖怪やら幽霊やらが自分に悪さとかしなかったらどうでしょう。逆に妖怪やら幽霊が、自分を頼っているのだと分かったらいなくなってしまえとか、逃げ出したいとか思うでしょうか。「ひみつの階段」シリーズで、ある意味学校そのものの幽霊みたいな存在を出して、少女たちの一瞬のきらめきをそこに描き上げた紺野キタの「知る辺の道」(幻冬舎コミックス、590円)には、そんな疑問へのひとつの答えが示されています。

 表題作になっている短編「知る辺の道」で主人公を務めているのは、妖怪とか幽霊とかが見えてしまう力をなぜか持ってしまった真央という名の少女です。しばらく前から通学路に現れるてはすっと消えてしまう青年が見えるようになりますが、それが何なのかは分かりません。「悪いもののようには思えないんだけど……」と考えていても、やっぱりちょっと気になります。

 というのもこの真央。大変な力を持っていたのです。実は彼女のお父さん、しばらく前に心臓を痛めて死んでしまいました。けれどもその体から抜け出す魂を真央は引き留め、お父さんの体に戻してしまったのです。以来、お父さんはそれまでと変わらない姿で真央にご飯を作ってくれますが、ちょっとしたはずみ、そう例えば転んでしまった拍子に体から魂が抜け出てどこかへ行ってしまいそうになって、それを真央が連れ戻すことが度々あったのです。

 だから真央はその青年の存在を死神か何かだと疑っていたのかもしれません。そしてそれは本当になってしまいます。ある日のこと。道で出会ったおばあさんが、真央に向かって「ナナ!!」と叫んで近寄ってきます。真央はすぐに気付きます。「どうやら今朝、私の中に落ちてきた客は”ナナ”というらしい」。漂う魂を捕まえてしまう能力が真央にはあって、その日にはおばあさんの愛した猫が真央に入り込んでいたのです。

 遠い昔にいなくなってしまった猫が落ちてきたのは、おばあさんを迎えに来るためだったのです。その仲介役を真央が果たした帰り道、出会った青年についに真央は気づいていたことを知られてしまいます。彼は言います。「僕はただの道案内」。そして取引をもちかけます。「君が成人になるまでパパの件は目こぼししてやってもいい」。こうして真央は迷っている魂を背中に集めては、青年のもとへと運び野辺へと送り届ける仕事を始めます。

  妖怪や幽霊が見えてしまう主人公が、その力でもって巷にあふれる霊魂やら妖怪やらの相談事にのってあげる。父親がいるけど本当は死んでいるのに力が働いてそうはなっていないという外枠は、今市子の「百鬼夜行抄」にも似ています。これも面白い作品ですが時に妖怪や幽霊がもたらす怖ろしさがあって、不思議な力を持つのも良し悪しだなって覆わされます。その点「知る辺の道」は、続く2話目の「オランジュリー幻想」も含めて、迷う魂の迷いを払ってあげる心温められる展開が、可愛らしさも抜群のキャラクターで描かれていて読んでて気持ちが楽しくなって来て、力も悪くないかなって思わされます。

 単行本の「知る辺の道」で真央が主人公なのはこの2編と、描き下ろしのおまけ漫画「サマースクール」だけで、その活躍を読みたかった人はちょっと残念に思うかもしれません。でも大丈夫。その他に納められている短編もどれもが面白くって、可愛らしくって悲しくって、そして心に強く響く作品ばかりです。

 第3話目の「天女」。男の子っぽいスタイルだけど実は女の子という主人公。お父さんとお母さんが不仲になってしまった関係で田舎に預けられた時、頭が呆けてるって思われているお爺さんが実は天女を遊んでいたってことを知って驚きます。

 でもその天女を自分がやがて受け継ぐ身だと知り、ずっと昔から父がいて母がいて子がいてそして父になり母になってその子へと繋がってきた糸の存在に気付き、家族との関係にもも折り合いをつけようと頑張る決心をします。多感な時期に不安な事件で揺れる少女の心を描いた綺麗な物語で、絵柄とも相まって紺野キタならではの爽やかな読後感を得られます。

 母親をどうにかしてしまった同じ顔の2人の少女が、白い部屋で対話している「匣」は内面へと迫る怖い話。「ひみつの階段」に収録されていた、初期のホラーっぽかった短編が思い出されます。「きつねの火」は少しだけ妖怪変化の血を引く少女の所に狐が嫁を取りに来る話。「百鬼夜行抄」にも似た話がありましたが、こちらはそうした事件を通して血の繋がらない親子の、それでも心で強く繋がった関係が描き出され心動かされます。

 そして「天使のはしご」。これは悲しく、切なく、けれども他人を慈しむ心の美しさが描かれていて嬉しさも浮かぶ話です。病気がちな姉がいて、学校では八方美人ながらも家では妹に結構辛くあたって我が儘な所を見せててそんな姉に妹は同情しつつもうんざりしています。そうこうするうちに姉の具合が悪くなって入院してしまって、それでも代わらない減らず口に、妹の方もキレそうになってしまいます。

 けれども妹の見えない場所での姉は他人に優しくて、目の不自由な人が手すりに結んだ目印のリボンを、外した子供から奪い取ってはちゃんと結び直してあげたりします。最後の瞬間も、自分が若いまま逝くのは特権だと減らず口を叩きながらも、妹へのずっと長生きして欲しいという気持ちを示しながら「天使のはしご」を昇って行きます。憎しみあっていたようで、思い合っていた双子を描いた萩尾望都の「半神」にも重なる、珠玉の一篇と言って絶対に言いすぎではありません。

 もちろん冒頭の真央を描いた2話も、「天女」も「きつね火」も「匣」もどれもが珠玉の物語で、どれを読んでも紺野キタという漫画家の力量の凄さ、描かれる物語の優しさが伝わってきて長く心に残ります。もっとも発表された媒体をみると同人誌あり、ウェブサイトありと言った具合にバラバラで、大手と呼ばれる漫画誌も見あたりません。この才能がコンスタントに発揮される場が、今の商業誌の世界にあまりないのだとしたら残念でなりません。

 もっとも、だからこそ商業誌の激しい時流にペースを乱されず、心のこもった珠玉の1編1編を描けるのだとしたら、それはそれで良いことなのかもしれません。次に真央の活躍や、ほかの優れた短編、そして「ひみつの階段」に連なるシリーズを読めるのがいつになるのか分かりませんが、活動が続いている限りは追い続けて、読み続けていきたいものです。


積ん読パラダイスへ戻る