白の咆哮

 流れに逆らって生きるのは難しい。たとえ心の奥底で流れに反発を感じていても、周りのすべてが認め奉っていることに真正面から異を唱え、反旗を翻したりはできない。そうした時に起こるかもしれない迫害なり、弾圧なり無視とかいった仕打ちに耐え、跳ね返すだけの強さを人は持ち合わせてはいない。

 世間なんて関係ないと強弁できない訳ではない。けれどもそんな強さも、大勢の人たちの間で生きなくてはならないこの現実社会で、どれほどの助けとなるのだろう。困っても助けてもらえない。腹が減っても食べ物を売ってもらえない。そんな暮らしをそれこそ一生、続けるだけの気概は人間には存在しない。

 必死で己を貫き通す苦労をするくらいなら、流れに身を委ねてしまったほうがずっと楽だ。貫き通す己なんていったいどれほどの価値があるのだろう。そう考えれば流れが濁流であってもまるで気にならなくなる。むしろ心地よさすら覚える。積極的に流れに乗れば、なおいっそうの快楽が待っている。かくして世界はひとつの思想に、意見に染め上げられ、誰もが同じ方向を向いて突き進んでいく。果てに奈落が大口を開けて待ち受けていても。

 コミューンがあった。ひとりの発起人がいて、資金難から開発の途絶えた地方の土地を購入し、「入植地」という自給自足の共同体を作り上げた。財産を預け、あるいは捨てて入植した人たちは、平等な立場でそれぞれに与えられた役割を「入植地」でこなして生きていた。共産主義。共産制。そんなレッテルを貼られがちな暮らしを送っていた。

 平等に慣れず農業を中心とした日々にも疲れ、「入植地」から出ていく人もいた。世間はそんな運動に醒めた目線を送り、語り部となる雑誌記者も最初は批判的な視点で「入植地」をとらえ記事にしていた。一方で彼は、北陸の一地域で起こった「土踊り」という運動に感化されはまり込み、熱心な代弁者となって肯定的な記事を書いていた。それがある時を境に反転した。

 仮面を着け、太鼓の音にあわせて踊り回る「土踊り」。陶酔した気持ちなれ昂揚した気分を味わえるということからか。北陸を出た「土踊り」は中部へ、東北へ、首都圏へと”信者”の輪を広げていった。その課程で記者は「土踊り」に得体の知れない思いを抱き、「入植地」に入って彼らのスポークスマンとなっていた。

 「土踊り」はやがて関西も中国も四国もその勢力下に置き、残すは九州でも「入植地」のある地域だけとなっていた。迫る侵攻に「土踊り」を相手に戦いを主張するものもいた。しかしかつて「入植地」にいながら「土踊り」の側についた男の説得と、客観的な情勢から戦いの困難さも感じ取れたこともあって、「入植地」の発起人は迷いつつも決断をする。ところが時すでに遅く、入植地には軍靴ならぬ蹂躙の足音が響き渡ろうとしていた。

   すばる文学賞を受賞した朝倉祐弥の「白の咆吼」(集英社、1400円)が描く皮肉な光景。ひとつ主義主張にこりかたまっているように取り上げられ、非難されがちなコミューンのような組織だが、日本全土がひとつ思想に染めあげられた中でただ一カ所、自由な思想が残った場所として浮き上がって来る。異論を認めず異分子を排除したがる日本の傾向を寓意的に現していると言えば言える。

 何より昨今の、右向け右な感じに染め上げられつつある社会の雰囲気が象徴的に描かれてるようで読んで慄然とさせられる。最初は少年達の純粋な想いに過ぎなかった「土踊り」が、世間へと広まり社会的に認知されるに従って、込められていた想いの純粋さが失われ、統制の手段となって人々を絡め取り、引きずり込んでいく。

 何という不気味さ。何という恐ろしさ。個人のレベルでの想いが、扇情的な為政者と情動的なメディアによって国民全体の思いに引き上げられ、同情はできても賛意はできないといった論理的な意見すら異論、さらには敵性と見なされ排除されていく。従わないものはすなわち「入植者」として抹消されかねない状況と、薄紙一枚隔て対峙している状況をひしひしと感じさせる。

 まだ間に合うのかもしれないし、もう遅すぎるのかもしれない。日本を覆った「土踊り」はやがてこの国を熱狂の渦とともにどこへと運んでいくのだろう。誰もが幸福に浸れる楽園ならば救いはある。だが奈落なら。かつて来た道へと再びたどらせるものだったのなら。それでも「土踊り」に身をゆだねる心地よさを選ぶべきなのか。玉砕を覚悟で「入植地」へと向かうべきなのか。選ぶのはあなた達一人ひとりだ。


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