セルフ・クラフト・ワールド 1

 自分という人間が“意識”というものを意識しているのだから、他の人間にもそうした“意識”があるのだろう、という想像はできる。けれども、コンピュータの中に生まれた人工知能(AI)に“意識”があるかは、自分がコンピュータの中で生まれたAIでない以上、ちょっと想像がつかない。

 膨大な記憶の連鎖が、脳のニューロンをバチバチとさせたところに“意識”が生まれるのだとしたら、膨大な記録の猛スピードでの連携が、“意識”めいたものを生んでも不思議はないのだろうか。それとも、記憶の連鎖と記憶の連携とは、根本的に意味が違うものなのか。

 古今の科学者や哲学者が研究し、思索し続けてきた難問であり、またこれからも検討が重ねられる難問だけに、答えは簡単には出せないけれど、とりあえず芝村裕吏は、「セルフ・クラフト・ワールド 1」(ハヤカワ文庫JA、720円)に登場させた、セルフ・クラフトという大規模多人数同時参加型オンラインRPG内のノンプレーヤーキャラクター(NPC)、つまりはAIによって動く少女に、“意識”めいたものを持たせることにしたようだ。

 エリスという名前を与えられたこの少女。物語において自分を主体として見聞きしたことを綴り、外からやって来た人間が操作しているプレーヤーに恋もすれば嫉妬もし、そして自らの死というものを恐れてみせる。恋という感情に見えるものは、パラメータの上下が生み出す反応だとしても、AIが死を恐れるというのはどういうことか。重大な意味をはらんでいそうなテーマを、芝村裕吏はさらりと突きつけてる。

 そのエリスが熊本弁を喋るのは、そういうプログラムだからであって、他に意図はないかもしれない。ただ、ツンデレ感とはまた違った愛着めいたものが、熊本弁を喋りながら怒り泣き笑うエリス相手に浮かんでしまうところに、方言が醸し出す素朴さめいたものへの人間の情動を誘おうとする、プログラムを超えた何かがるのかもしれない。セルフ・クラフト、どうにも謎が多い。その謎の最大のものが、ゲーム内で生態系を築いているワーム、日本名でチクワをはじめとした人工生命のG−LIFEたちだろう。

 物語は、エリスがそのG−LIFEを研究史に外から、つまりは現実世界からゲームにログインして来たGENZというプレーヤーによって助けられるところから幕を開けて動き出す。ゲーム内では精悍な男に見えるGENZだけれど、現実世界では結構な年齢になっている老人で、生物や進化の研究で知られた学者だったらしい。今は第一線から退き、ゲーム内で繁殖するG−LIFEの生態を研究している。

 チクワたちG−LIFEは、誰かがプログラミングして作り出した存在ではない。きかっけこそ与えられたものの、その後はゲーム内の環境に適応しながら進化し、変化し分化していった。そこには人類の思考だけでは到達不可能なテクノロジーのブレイクスルーが含まれているようで、得られる技術のヒントを独占できれば、現実の世界で大きなメリットが得られることから、チクワの秘密を狙って幾つもの国がしのぎを削っていた。

 GENZが年齢を押してセルフ・クラフトにログインしたのも、チクワに干渉し、情報を得ようとする他国のハッカーが侵入し、何か悪さをしようとしているのではないか、といったことを察知したから。そしてログインしたセルフ・クラフトの中でGENZはエリスと出会い、彼女から関心を抱かれ迫られることになる。

 当人にとっては嬉しいのかどうなのか。ただのNPCであり、AIが反応しているだけだといった割り切りが出来れば、彼女が虫に襲われ死のうと関係ないと思っただろう。ところが、いっしょに行動するうちに、キャラクターだという思いがだんだんと剥がれてきて、エリスの生死に一喜一憂するようになる。そこが少し面白い。

 それすらも、人間の情動を誘おうとするAIの計算尽くの反応に過ぎないのか。それとも、人間と同じ感情めいたものがエリスらゲーム内のAIたちには備わっているのか。セルフ・クラフトというゲームが、G−LIFEのような存在を生みだしているだけに、そこも気になるところだ。

 AIが自分たちをAIだと認識しつつバーチャルな世界で生きている雰囲気は、松葉屋根なつみの「歌う峰のアリエス」(C・NOVELS)という作品にもあって、峰々が連なる場所に暮らす羊たちが世界を守っているという形で描写される、サーバー内の空間で起こった事件への対処が、現実世界を変えることにつながるというビジョンが示されていた。

 「セルフ・クラフト・ワールド 1」のG−LIFEについては、以前はアーティフィシャルライフとも呼ばれて、コンピューターの中で生命体めいたものを増殖させることで、進化の不思議をつかんだり、技術核心に役立てようとしたプロジェクトの存在を思い出させる。一時のブームで終わったそれが続いていたら、エリスのような存在が生まれていたのだろうか。そんなビジョンを見せてくれる。

 生態系をもったチクワたちをうまく操り、敵勢力との戦いに勝利するようなアクション描写もあって、冒険物としても楽しめる「セルフ・クラフト・ワールド 1」。そんなストーリーの中で、エリスがGENZの仕草にフラグを立てていってしまうのを、自分でチョロいと自虐する一方で、そういうキャラに感情を見いだしてしまう人間も、結構チョロい存在なのかもしれないと思えてくる。

 だんだんと垣根が見えなくなっている現実と仮想世界の狭間で、人間がAI化し、AIが人間化していくようなパラダイムの変換を、目の当たりにして見せようとしている。そそうした状況が世界全体を左右する可能性があることを感じさせる。「セルフ・クラフト・ワールド 1」はそんな作品だとも言えそうだ。

 話はまだ終わっておらず、進化の兆しが見えたゲーム世界が今度はリアル世界へと進出していくという。外へと出たがっていたエリスが実体化して、本当は老人というGENZと出会うようなシーンはあるのか。それは人間どうしのような感情のぶつかりあいを見せるものなのか。そこまで描かれて、AIの意識の所在といったものに対する芝村裕吏の見解に、触れらられるのかもしれない。

 期して続きの刊行を待とう。


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