SEIMEIKIDEN
晴明鬼伝

 タイトルに偽りあり?

 と言っても戸惑いから来る非難ではない。五代ゆうの「晴明鬼伝」(角川ホラー文庫、819円)は、「晴明」すなわち平安時代に活躍した希代の陰陽師、安倍晴明が、その圧倒的な能力を駆使して都を脅かす妖怪変化と戦う話ではまるでなく、それより以前に「安倍晴明」という名の人物が、物語の大半に登場しない。

 ならばどうして偽りと非難できないのか。それは「晴明鬼伝」が、安倍晴明というひとりの陰陽師が世にその姿を現すまでを辿りながら、その周囲で生まれ育った男たち、女たちを描いたドラマが、愛を求める者たちの想いの熱さを、怨念を晴らそうと魔道に身を落とす者たちの恐ろしくそして憐れな様を、者権力を求めて謀を巡らせる貴族たちの渦巻く妄執の激しさを感じさせて、圧倒してくれるからだ。

 15年前に起こした不徳によってもたらされた、京の都を脅かしかねない一大事に立ち向かうべく、葛城の山に暮らす役(えん)一族の長・大角を訪ねた陰陽師の賀茂忠行は、長のすすめめを受け、長の息子・志狼を伴ってって都へと戻る。忠行の家で暮らすようになった志狼は、暇をもてあまして街を出歩いていた時、旅芸人の一座で笛を吹いていた葛葉という少女と会い、心惹かれる。

 だが葛葉は、一座を率いる鳴滝という妖しい女が、権力者に取り入る時の慰みものとして育て連れ歩いていた哀しい存在。そのため葛葉は、ほどなくして志狼からも、自分を姉と慕う、言葉を話さず金色の眼を持った「童子」からも引き離されて、貴族の屋敷へと送り込まれてしまった。

 それでも諦めきれない志狼は、見かけた童子といっしょになって、葛葉を探して京の大路を駆け回る。実を言うならこの名もない童子の存在が、物語の上でひとつの鍵となっているのだが、それが明らかになるのはクライマックスも過ぎてのこと。物語の方はお互いに惹かれ合いながらも、方や京を守る陰陽師、こなた京を脅かす妖女という相対する勢力の側にそれぞれついた立場として、容れられることのない関係に胸を焦がす志狼と葛葉の流転する運命を中心に進んでいく。

 「これが恋か。この痛みが恋いか、この苦しみが恋か。おまえがこの俺に呪詛をかけたか。葛葉よ。葛葉。葛葉……」(255ページ)。捕らえられ、真っ暗闇の牢獄につながれた志狼の慟哭が、人を想い慕う気持ちの痛切さを思い起こさせ、身を突き刺す。そんな純粋であからさまな想いの隙間に忍びより、邪な気持ちを引きずり出そうとする謎めいた男の甘言が、2人の大団円を願う心を不安にさせる。

 幾度か重なりながらもその度に引き離され、惹かれ合いながらも反発せざるを得ない立場に身を置く葛葉と志狼との関係が、果たしてどうなってしまうのか。若さゆえの過ちがもたらした、愛への餓えがそのまま怨念となって京の都へと降り注いで来たような災厄に、賀茂忠行はどう立ち向かっていくのか。繰り広げられるさまざまな愛憎のドラマと、怪人妖女の入り乱れての妖術体術合戦が、600ページにおよぶ分厚い文庫のページを繰る指を休ませない。

 まだ若く、栄達の野心に燃えた平将門と藤原純友が、出会い連れだって都に迫る危機に立ち向かうエピソードは、歳を追った読者に、かつてNHKで放映された大河ドラマ「風と雲と虹と」を思い出させるかもしれない。加藤剛の顔をした将門と、緒方拳が演じた純友が、手に太刀を持ち跋扈する妖怪へと立ち向かう、そんな映像が頭に浮かぶ。見てみたい。当時のまだ若かった2人の顔で。

 悲劇に満ちたクライマックスを経て、将門と純友がたどる壮絶な最期も明かされた後、物語はひとり川辺にすわって笛を吹く志狼を映し出す。そこには希代の陰陽師が世に立ち現れた一方で、彼の血肉となり魂をも引き継がせた女を想い、彼を護り抜こうと決意した「鬼」の姿があった。なるほど「晴明鬼伝」とはすなわち、安倍晴明を陰で支えた鬼の伝えを記した物語、だったのか。ならば納得、疑念は晴れた。タイトルに偽りなし。無垢で激しい恋情を描く圧巻の物語として、読者は心ゆくまで堪能されよ。


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