さよならさよなら、またあした

 「さよなら」はやっぱり別れの言葉で、言ったら最後、それっきりになってしまうことだってあったりして、どこかに寂しさも漂ってしまうけれど、そこに「またあした」とつけることで、言葉には未来を信じる希望が満ちて、心を前向きにしてくれる。

 シギサワカヤ、という人の漫画「さよならさよなら、またあした」(新書館、590円)はだから、とっても前向きな物語だ。主人公の育という少女は、生まれながらに心臓に疾患があって、20歳まで生きられるかどうかと言われていた。親の優しさをたっぷりに味わい、申し訳なさも感じつつ、そういう自分をやや諦め、学校でも体の弱さをネタにしながら、明日はどうなるのかと思いながら生きてきた、ある日。

 それでも、やっぱりやり残しておくことは宜しくないと思ったのか、高校の卒業式の日、とくにつき合ってもいなかったけれど、親しくはあった小林正嗣という若い教師に向かって、結婚しようと唐突に告白した。

 驚いたのは正嗣の方。どういうことなのかと慌てたし、学校からも何か関係があったのかと勘ぐられ、拙い立場に追い込まれそうになった。それでも、過去にとある事情を抱え、いろいろ思うところがあった正嗣は、そんな事情を知っている校長の思惑も感じつつ、育を受け入れて2人は結婚する。

 それから10年ほど。育はやっぱり病弱ながらも、どうにか命を保って生きている。今日という日を生き抜いて、そして別れを告げて明日、またやってくる今日という日を生き抜く、そんんあ繰り返しによって、1歩づつ、先へと進んでいく。

 漫然と、そして当たり前のようにやってくる今日であり、明日といった日々を過ごしている多くの人間にとって、なかなか考えが及ばない、その熱くて切ない今日という日への想いを、物語から知ることによって今日という日、そしてかけがえのない生というものへの意識が芽生えてくる。

 育とは同級生で、少女のころから関わりがあって、今は企業の総務でアラサーのお局さま状態にある万喜という女性が、新入社員の若い男子から興味を持たれ、アプローチを受けつつ、慣れていないからと怒ったり、拒絶したりして、それでもだんだんと知り合っていくエピソードが、「さよならさよなら、またあした」では、育と正嗣との関係を描くエピソードと、平行するように進んでいく。

 新しく生まれそうな幸せへと向かう未来と、いつ終わるかもしれない今日を繋げてようやくつかむ未来の物語を重ねることによって、人がそれぞれに感じる今への思が見えて、自分の今を見つめ直す機会を与えてくれる。1組ではなく2組のカップルを描いたことで、暗闇へと向かい進んでいく恐ろしさを一方に噛みしめ、それでも残る者たちは幸せを求め生きていく大切さを、ほんのりと浮かび上がらせる。

 難病で余命幾ばくもないと知りながら、自分のために手術費を稼ごうと賢明になる父を悲しませたくないと、周囲に対して明るくふるまい、けれどもやがて去っていく自分への関わりを経たなくてはと迷う少女の姿を、4コマ漫画で描いたあらい・まりこの「薄命少女」にもあった、生への執着と死への意識が、この漫画からも感じられる。ともに時には笑いを含ませつつ、描かれる生きていることの素晴らしさに、この生を、今あるこのかけがえのない生を、誰もが慈しむようになるだろう。

 10年が経って、まだ生きていられる安心感を覚えさせながら、繰り広げられた今日という日への熱情や執着が、最後の最後に見せられるエピソードで、少しばかり途切れそうになって、もうこれまでか、なんて思わされる。それでも。

 それでも、凄絶なまでに生への思いを叫ぶ育の姿に、負けられない、逃げられないという思いを持たされる。ドラマチックでもなく、悲劇のオンパレードでもない静かな展開。だからこそにじみ出る心情がある。

 読まれ読み継がれるべき漫画がまたひとつ、生まれた。


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