The Savage Girl
ひかりの巫女

 巧みなPRがブランドのイメージを決め、持ち上げ社会全体を動かすような一大ムーブメントまで引き起こしてしまうという現代にありがちな現象を、ムーブメントの裏側で策謀する仕掛け人たちの姿を通して描いた物語。それがアレックス・シェイカーの「ひかりの巫女」(佐々田雅子訳、アーティストハウス、1905円)だ。

 「ジョージョ・オーウェル、トマス・ウルフに匹敵する才能」と評されるだけあって、物語からはすべてが仕掛けられている世の中で生きることの虚しさ、難しさが感じられ、今立っているこの時代、吸っているこの空気への懐疑を強く想起させられる。

 トレンド作りにかけては当代ナンバーワンと讃えられている男から捨てられ、狂気をはらんでしまった妹・アイヴィーの姿に、姉のアースラは仇をとってやろうとその男、チャス・ラクチュールが率いている、広告代理店をより先鋭化させたようなトレンド作りを専門としたトレンドスポッターたちの会社へと潜り込もうとする。

 広告やマーケティングの知識などはまるで持っていなかったが、そこをうまくしのいでどうにかチャスの会社に入ることができたアースラは、チャスや部下で天才的なトレンドスポッターと言われているハヴィアー・デルリアルほか、会社の同僚たちといっしょにトレンド作りの仕事を手がけることになる。

 アースラが見つけてチャスに提案したのは、公園に寝泊まりしているホームレスとも野生児ともつかない荒々しさを持った少女「サヴェッジ・ガール」のイメージ。それをチャスやハヴィアーたちは、反権力的・反モラル的・反トレンド的・反伝統的な「ポストアイロニー」というトレンドへと昇華させ、世間に提示しては社会現とも言えそうな大流行を作り出す。

 チャスに近づき妹の仇をうとうとしていたアースラの、チャスに近づく手段としてひねり出されたそんな「ポストアイロニー」だったはずなのに、皮肉にも精神を痛めて入院していたアイヴィーを、ムーブメントの象徴的な存在として祭り上げる結果を呼んでしまう。エスカレートする喧噪のなか、アースラと付き合うようになっていたハヴィアーの心に歪みが生まれ、アースラも自分のして来たことに疑問を抱き始める。

 流行が作られる裏側にうごめいるさまざまな人間の、めぐらされているさまざまな思考がつまびらかにされ、今まさに動いている世界でにぎわっているもの、もてはやされているものの正体が明らかにされる展開に、操られる怖さを覚える人も少なくないだろう。どうせだったら世界を動かす側へと身を置き、万能感にひたりたいといった思いに駆られる人も多く出るだろう。

 けれどもそれは一瞬のこと。練りに練り上げられて作られたトレンドが瞬く間に消費され、来年には陳腐化してしまうだろう現実からは、虚無感が浮かんで心を鈍く刺す。トレンドを動かす側には走り続ける苦しみがあり、動かされる側には走らされ続ける苦しみがあって、どちらの立場にも立ちたくないと思わされる。自分は自分として思うように生きるんだ。そう強く決心したくなる。

 もっともそうした決心の裏側へと知らず入り込み、巧妙に操作するのが一流と呼ばれるトレンドスポッター。自主・自立なんてトレンドを仕込みメディアを操作しマインドを作り上げては、自立する人間が買うべき品々、などという方向へとトレンドを誘導しているかもしれない。何を信じて生きていけば良いのか。考えるほどに、浮かれる周囲を見渡すほどに生きることが辛くなる。恐ろしくなる。

 果たしてそのことに気付いてしまったのだろうか。アースラを残し自殺をはかったハヴィアーは、体を冷凍の状態におかれたまま500年後の未来を目指すことになった。彼が目覚める未来が現在よりより良くなっている保証はなく、むしろなおいっそう酷い状況、すべのあらゆる現象が誰かによって、何かによって操作され支配されている恐るべき世界になっている可能性すら小さくはない。

 それでも現実よりは少しはましになっている可能性に、かけたいという気持ちは強くある。冷凍されて永い眠りにつこうとしているハヴィアーを見守るアースラやチャスや元同僚たちの気持ちに去来するのもそんな、トレンドを操りトレンドに操られて雁字搦めの世界から、逃げ出すことに成功したハヴィアーへの羨望だったのかもしれない。

 めくるめくような成功と破綻のストーリーにあふれた現代への警句と未来への警鐘。読めば誰もが社会に、世界に対する懐疑とも諦観ともいった感情を抱くことになるだろう。そこから何をするのか。突き進むのか、逃げるのか。ハヴィアーの目覚めるだろう未来へと続く路を造るのは貴方たち、そしてわたしたちだ。


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