サキモノ!?

 凄い。そして凄まじい。これは嘘だと言いたくなるくらいに凄くて凄まじい状況だけれど、ネットの大海に散らばる幾つもの体験談から類推するに、多分に本当らしいからやはり凄くて凄いとしか言い様がないのが、斎樹真琴の描く「サキモノ!?」(講談社、1700円)に出てくる商品先物取引の世界だ。

 朝からテレコール。もうひたすらにテレコール。名簿を頼りに電話をかけ続けては、商品先物取引に投資してくれそうなお客のリストを作り出す。作れなければ昼飯抜きで電話をかけ続け、それでも見込みが取れなければ、座っているイスを取り上げられて立って電話をかけ続ける。足はむくみ脳は血が足りなくなり、疲れに朦朧としてへたり込んだ女性社員のスカートから伸びた膝が床でこすれ、血が滲んでも手には受話器を持ったまま、見込み客作りの電話をかけ続けなくてはならない。

 労働基準法がどうとかいった常識的な意見も当然出る。対して、それが商売の厳しさってものだろう、といった情に依拠する見解も出そうなのが、昨今の経済をとりまく諸々の事情。働けるだけ幸せで、働くのだったらそれくらいやってこそ、人間も会社も成長するといった言葉に、ついつい納得させられそうになる。

 なるほど、そこまでして売っているのがとてつもなく素晴らしく、人間の暮らしに役に立つ商品だったら、電話をかけ続けている人も誇りが持てるし、やってやろうという気も浮かぶ。けれども、そこで売っているものは商品ではなく先物取引、形を持たない投資の勧誘だ。絶対に儲かるものではありえず、絶対に喜んでもらえるものでもない。

 誰かが損をするから、誰かが得をする厳しい世界。それが投資。さらに言うなら、先物だからレバレッジも効かせて大もうけもある一方で、とてつもない損を誰かが被ることもある。そこに人を引きずり込む訳だから、テレコールする側にはさまざまな感情が渦巻くことになる。

 投資に金を出す人間のほぼ全員は、儲けたいから金を出す。従って、損をするかもしれない場所に、金なんて出す訳がない。自然とテレコールすぐ側も、一応は損をすることもあるけれど、どちらかといえば儲かると声をかけがちになる。それを聞いてなるほど儲かるものだと気持ちを持っていかれたその後。何が待っているかは言うまでもない。

 勧誘に勤しむ先物の会社は、それでもしっかりと手数料で儲けている。損をさせてもさらにお金を出させて売り買いさせれば、さらに手数料が入ってくる。損をしようと得をしてもらおうと、どっちに転んでころんでもフトコロは痛まない。痛むケースがあるのは顧客のみ。それを知っていながら、顧客を誘う電話をかけ続ける心が、果たして真っ当でいられるか。いられないからこそ、新人たちは入社して早々に次々と退社していく。途中で採用された人たちも、ほとんどがその日のうちに飛び出しそのまま来なくなる。

 もっとも、そうは簡単に抜けられそうもない世界でもある様子。退職したいと言い出す女性を言葉巧みに誘い出し、現れたら怒鳴りつけてそのまま電話の前に立たせ、前と同じテレコールを続けさせる。その人心掌握のテクニックの凄まじさたるや! 流石は人の迷いや願望のカケラでも見つけたら、逃さずつかんで引っ張り出して増大させ、おのれが望む方向へと引っ張っていく投資勧誘の技に通じた人たちの巣窟だ。同じ事をされて自分だったらどういった行動をとるのか、自分の願いに忠実でいられるのかと考えさせられる。

 だからこそ近づかないのが正解だ、会社にも、投資の話にも。といった商品先物取引の世界に警鐘を鳴らす物語かというと、そうでもないところにこの「サキモノ!?」という小説の面白さが実はある。大卒で入った新人女性社員の上司で、楠という美貌の女性係長が、慰安旅行先の風呂場で、前に勤めていた航空会社はカウンターで欠航を女性が何度も何度も謝っていても、上司がそこに出ていくことはない、けれども先物の会社では、部下と顧客の間にはいって上司がちゃんと謝る、自分はそんな上司を姿は初めて見たと主人公に語って聞かせる。

 なるほど、部下の不始末が自分の成績にも関わってくるなら、上司もいくらだって頭を下げるだろう。けれども、そうした打算すら働かない年功序列の硬直ぶりが、航空会社の崩壊につながった例が、現実の世界でも存在していたりするだけに、自分が頑張りさえすれば、稼げて上司に誉められるサキモノの仕事の方が、案外に正しいものなのかもしれないと思わせられるようになっていく。これでなかなか良い世界なのかもと思わされる。

 けれどもそこは待ったが寛容。甘言に踊らされた挙げ句に沈められる顧客の問題は解決していなし、投資に誘った側の浮かぶ罪悪感の行き場も示されていない。くぐり抜けるには顧客よりも会社を思い、罪悪感より使命感を優先させる心を養い、全身を覆い尽くす必要があることを忘れてはいけない。

 一方で、先方がいくら甘言を弄しても、それは投資、自己責任の世界だということ理解しておく必要がある。人生でどの道を選ぶのかも自己責任なら、投資によって損をするのも自己責任。その範囲内で何ができるのかを考え、そしてどれだけの自己表現が可能かを探求していく自立の物語として読もうとするスタンスが、正しくそして客観的に「サキモノ!?」を味わう上で、必要なことなのかもしれない。


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