六百頁のミステリー

 本好きだからといって女性にもてるとは限らないことは、半世紀近くに及ぶ経験から身に染みて知っている。むしろ社交から目を背け、内にこもって空想の世界に閉じこもる本好きの生態は、女性の恋情混じりの視線から、その姿を除外してしまって、一生を本に埋もれる運命を強いる。

 だから、「あり得ない!」と叫びたくなる気持ちも一方に抱きつつ、それでも万人に幾人かの本好き男子が、女性からもてて良い仲になって、幸せになっていく様を他方に感じて、そこにどんな違いがあるのかを考えようと、本好きの男性が女子高生にもてるという、夢のようなシチュエーションが描かれた、幸村アルトの漫画「六百頁のミステリー」(白泉社、400円)のページを繰って、必要となる条件を探る。

 まず顔立ちが良いこと。いきなり不可能過ぎる条件が突きつけられたけれど、そうなんだから仕方がない。町中にある小さな図書館には、しばらく前から水島という名のまだ若い男性が司書として赴任して来て、本の貸し出しや整理といった司書の仕事に勤しんでいる。痩身で細面で眼鏡をかけていて、サラリとした髪を靡かせ立ち回るその姿に、小学生の女の子も興味を持って、図書館に通うようになっている。

 ましてや年頃の女子高生にとって、そうした見目に加えて本について詳しいということが、知的で優しいというイメージとなって届いた模様。もともと本好きだった浅見菜都という名の彼女は、学校にある図書室とは違って、いろいろな本が並んでいるその図書館に行って、司書の仕事をする水島に興味を引かれた。

 ここでふたつめの条件。女性も本好きであること。このハードルはそれほど高くはないけれど、最初のハードルが超絶的に高いことから、すでにファンタジーの域へと達してるので以後、描かれることは遠い彼方の夢の出来事として読んでいく。浅見は1日に制限いっぱいの5冊借りては、読んで翌日に返してまた借りるようなチェーンリーダー。読み始めたら周囲のノイズすら届かなくなるくらい没入してしまい、最初のうちはそれほど水島のことを意識はしなかった。

 けれども、ミステリの本の登場人物紹介に、誰が犯人かが○で囲ってある落書きが見つかった事件を経て、本を愛する気持ちとは別に、人に優しくする気持ちも美しいのだと気付かされ、水島への興味をぐっと深める。ここにも条件。本に酷いことをする人を目の前にしても、暴れず叫ばないでその人の気持ちを忖度し、導いてあげることができなければ、女性にはもてない。これはフェティッシュに本を愛する人にはなかなかなに厳しい条件だ。

 そうやってカップルが生まれるまでが描かれた、読み切りの短編を冒頭において、「六百頁のミステリー」はこの後、本をテーマにした連載ストーリーが綴られていく。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を語る場を図書館に設けて、子供に向かって語り聞かせる姿に、浅見は幽玄の世界を見て、いっそうの恋情を深める。

 答えが書いてないことは読んだ人が好きに考えていいんだよという水島の言葉は、テキストに耽溺せず作者に拘泥せず、自分にとって自由な読書であることを勧める度量の広さを示す。これも難しい条件かもしれない。

 芥川龍之介が、まだ少女だった文ちゃんへと贈ったラブレターについて描かれた章では、一応は彼女の彼氏の関係になっているはずなのに、本好きと図書館司書という関係から大きく踏み出せない不安を浅見の方が抱いて、困惑してしまっている姿に、水島の方はそうではないんだという気持ちを、甘い言葉でいっぱいの芥川龍之介の恋文を、そのまま借りて伝える、臆面のなさを見せる。恥ずかしくないのか。ないのだろう。それが人から好かれるために必要なこと。やはりとてつもなく難しい。

 水島をセリヌンティウスにたとえ、彼が好きなケーキを買って走って届ける浅見の「走れメロス」ぶりに、命がとられる訳でもないのに、そこまで一途に思われる水島への羨ましさを感じてしまう。一方で、そこまで執着されてしまう恐さも滲んでくるけれど、それすら愛と受け入れる鷹揚さが、女性に好かれるための条件なのだとしたら、受け入れるしかないのだろう。走ったことで崩れたケーキを、美味しそうに食べることも含めて。

 かようないくつかの条件を、クリアできればあるいは本好きであっても女性にもてるのだとしたら、頑張ってダイエットして整形もして、狭量さを棄て優しさを育み笑顔で迎え入れられるようになりたいもの。あとは町の図書館に司書として赴任できれば……だめだ、司書の資格を持っていない。決定的な条件が抜けている。半世紀の野望かなわず。

 だからあとは漫画を読んで、想像の中に幸せなカップルであることを思い描いて楽しもう。空想に耽溺しきれるのもまた、本好きの特権なのだから。


積ん読パラダイスへ戻る