REVERSED HEAVEN
リヴァースド・ヘヴン 狼牙めざめる

 小説の、とりわけSFやファンタージーのようなタイプには、おおざっぱにいって2つのお楽しみポイントがある。ひとつが世界設定。何でもありのジャンルの利点をフルに活かして、どこまでどんてもない物語の舞台を作り上げているかが、読んでいる時の小説への没入感を大きく左右する。

 もうひとつがキャラクター造形。とんでもない世界に対峙してたじろぐ普通人でも良いし、とんでもない世界に適応した姿を読む人に見せつけて驚嘆させる異人でも良い。いずれの場合にしろ、舞台に負けず劣らないパワフルさをどこまで見せつけてくれるかによって、読む側の感情は壮快にも不快にも揺れて動く。

 世界設定とキャラクター造形の、双方が揃っていれば言うことはないし、たとえ片方であっても、いずれか突出したものであれば、最高ではなくても最良の評価は出来る。過去、SFにしてもファンタジーにしても山ほどの作品が書き継がれて来たなかで、いずれであっても突出しているということは、滅多にあるものではないのだから。

 ましてや、世界設定とキャラクターの双方が、ともに突出している小説があったとしたら、それは脅威的であり驚異的というより他にない。少々のことでは動じない小説読みを驚かせ、次なる作品へと挑みつづける他の作家たちに恐れをもたらす。そんな作品は5年か10年に1本くらいしか生まれるものではない。

 ということはつまり、あと5年か10年は、そんな作品は生まれないということになるのだろうか。ここ登場した彩院忍の「リバースド・ヘヴン 狼牙めざめる」(角川スニーカー文庫、533円)に描かれた他に類を見ない世界設定、そして他を圧倒するキャラクター造形を目の当たりにして、読者は驚異に口をあんぐりとあけ、作家は脅威に布団をかぶってふるえ続けることだろう。

 幕開けは静かにひっそりと。「対峙する二人の間には遮るものなどなにもなく、踏みしめる地面さえないからだ」(5ページ)と書かれた背景描写に、一体ここはどこで、全体何が行われているのかと、目眩にも似た戸惑いを覚える。どうやら刃也と呼ばれる少年が、瀬川という少年から挑戦を受けているように読めるが、良くある不良どうしの決闘でもなく、またサイキックどうしのバトルでもなさそうだ。

 竹刀とコンバットナイフという不釣り合いな武器を駆使した肉弾戦を経て、竹刀使いの主人公らしい刃也がどうやら勝利をおさめたように読める。が、その決着が「挟まっていたナイフが服の間からこぼれ、重力に従って落ちて」(8ページ)行き、「続いて相手の体も後を追おうとしているのに気付いて首根っこを掴む」(同)ことで付く描写に再びの混迷が広がる。続く文字にそれはピークへと達する。「高賀刃也は空中へ、逆さまに、立っているのであった」(9ページ)。

 「リバースド・ヘブン」に描かれた世界で人は、気孔を重力すら凌駕するパワーとして使える能力を持って生まれて来て、うまくすれば、地表から2000メートルの所で地球を取りまいている「逆転層」という場所を、一種の”地面”と見立てて地表に頭を向けた状態で、立つことができるのだという。そしてそんな力を持った人たちが、幾つかのチームを作って地球上に分散し、覇権をかけて”逆転層”をメインのバトルフィールドにして、日々、闘い合っているのだという。

 何という世界設定か。地表よりはるか高みに位置する「逆転層」へと”落ちて”行く若者たちの、疾走感あふれた描写が肌をあわ立てる。どうしてこんな世界が生まれたのかという説明、そして「逆転層」を地表へと変えられる力を人間が持つに至った理由が、人類という枠組みを越えた所に置かれて宇宙規模の広がりを物語に与えていて、ただひたすらに圧倒される。

 そしてキャラクター造形。「狼王」と呼ばれる神室という男が率いるチームに所属し、強さの称号でもある銘「宝刀」を「狼王」から与えられた刃也は、なかなか発揮仕切れない力に銘の重さを感じて惑い続けている。そんな彼と親しげにしている同じチームの仲間、阿部三波もその実腹の底では何を考えているか分からない不気味さを見せ、強い者しか生き残れない世界の暗黒面を伺わせる。

 あるいは「宝刀」の銘は彼女が相応しいのかもしれない、そして彼女の存在を隠すために当て馬として刃也に「宝刀」の銘が与えられたのかもしれないと、そう思わせるほどに圧倒的な力を放つ少女・麻績柚子。化粧が好きで甘党という見かけの裏に、「狼王」すらしのぐかと思わせる力を保持してチームをまとめ挙げている謎の青年・杵島亨。さまざまな思いを胸にそれぞれの目的に向かって生きる彼ら、彼女らの激しさが、他に類を見ないスケールを持った舞台の上でぶつかり合う様が、目に眩しい。

 そして神室。「七賢」と呼ばれる世界でもトップクラスの能力者たちのひとりと称され、アジアではナンバーワンを誇りながらも、どこか秘密めいたところのある彼が、杵島や刃也、柚子らを配下に入れて狙ってものとは一体何か。やはり「七賢」のひとりで、「狼王」と同じものを狙っている、正体不明の「毒花」がめぐらす陰謀のすさまじさと、これも「七賢」のひとりで、「狼王」との因縁浅からぬ「狂虎」がとぎすます牙の鋭さが重なって、物語はどんどんと深みを増していく。

 持っている力を失った人間の悲しみと、強い力を持つものへの悪意や嫉妬めいた感情の描写は、若者の若さゆえの特権を羨ましくも苦々しく思う大人の感情にも似て、読んで胸を焦がされる。未だ気導を保持して「逆転層」へと降り立てる能力を持った若者たちの、決して陣取り合戦ではない、地球をゆるがすような事態を、かつて能力者だった大人たちが見逃している部分が謎だが、始まったばかりの物語、いずれはどこかで一段の深み、厚みを増すような設定が繰り出され、地球全体どころか宇宙全体をも巻き込む物語として、読む人をさらなる脅威と驚異の渦に、引きずり込んで行くことだろう。刮目して次を待ちたい。


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