恋愛的瞬間 第1巻

 トゥルルルルッと電話が鳴る。受話器からは「今、手首を切ったの」って弱々しげな彼女の声が。さあどうしよう?

 まずは即座に駆けつけるってのが人情だろうね。「知るか」なんて見捨てても、受話器を握ったまま息絶えた彼女の電話をリダイヤルすれば、かかった先が解ってしまう。知ってて行かなかったなんて、後になって糾弾されれば、いかな剛胆な心臓だろうと、あるいは冷酷な魂だろうと、やっぱり寝覚めは良くはない。

 それでも電話をかけて来るってことは、最後を看取ってっていうよりは、とにかく駆けつけてきて欲しいって気持があるからなんだと思う。振り向かせたいからとか、相手の気持ちを取り戻したいからとかってメッセージが、電話にこめられているんだろうね。

 けれども例えば、吉野朔実さんの「恋愛的瞬間 第1巻」(集英社、400円)に入っている「死んだふりをする女たち」のような、大学の教室でずんばらりんと手首を切っちゃう女性とか、自分で振った相手を「手首を切った」と電話してしきりに呼びつける女性なんかは、いったいどんな気持ちで手首にナイフを入れるんだろうか。手首を切ったことも手首を切られたこともない朴念仁の自分には、ちょっと理解できそうもない。

 そこで登場となるのが、WW大学心理学科で「恋愛心理学」を教える森依四月。自分を振ったくせに、手首を切っては電話をかけてくる彼女をどうすればいいと相談に来た男性に、「大丈夫、死にはしません」とか、「法的にも道徳的にもあなたにはなんの責任もない」とか、そんな当たり前の解答を与えて安心させたりは絶対にしない。代わりに「彼女の死は苦痛ですか、それとも迷惑ですか」と問いかける。

 「苦痛だったら耐えなさい。行って彼女を見殺しにしなさい。彼女の死を少しでも迷惑だと思うなら、警察か救急車を呼べばいいのです。そしてもう二度と、何があっても二度と会わないこと」

 依頼人の男性がその後どうして彼女とどうなったかは話を読んでもらうとして、森依四月の講義の最中に手首を切った女性の方は、理由は結局解らないまま。「病気?」「派手な自己宣伝」「イベント」「プライドの裏返し」「ひとりで結婚式するようなものだよね」「ウエディングケーキのかわりに」「手首をカット!」

 結局森依四月を尋ねなかったその女性に、周りの想像はかまびすしいけど、森依はたぶん、「手強い」とは思いつつも、彼女が手首を切った理由を、ほとんど完璧に理解していたんだろう。

 「死んだふりをする女たち」のほかに、「恋愛的瞬間 第1巻」に入っているのは、瞬間的恋愛を求める男子学生が出会った理想の女の子が森依四月のところに「誰かに見られてる」と相談に行く「恋愛的瞬間」、アイドルをやって10数年、いっさいのスキャンダルを提供してこなかった女性が森依四月をしきりに誘う「墜落する天使」、大勢の女性とつき合ってきた男性が1人の女性に巡り会って結婚しようかどうかと悩む「適材適所の男」の3編。

 「死んだふりをする女たち」と同様、どの「恋愛相談」でも森依四月は、相手を安心させるような言葉なんて吐かない。考えるきっかけを与えるだけで、後はそちらが考えなさいと、優しく静かに突き放す。

 結果すべてがうまくいく。いささか出来すぎの結末ばかりだけど、何かというと他人に責任を押しつけて、知らんぷりしてやり過ごそうとする人間の多くなった世の中で、もっともっと考えなさいって、教えてくれているような気がする。

 もっとも恋愛について考える機会なんて、自分には終ぞ訪れそうもないんだけどね。あはは。


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