Ren
刻のナイフと空色のミライ

 学園という身近なを場所を舞台にして起こるからこそ、異次元とか未来からの侵略といった突拍子もない出来事が、身に近く感じられて楽しくも怖ろしく思えたのだろう。中高生の時代に読んだジュブナイル作品が持つ空気感は、宇宙や未来を舞台にした物語にスケール感で至らないことがあっても、親近感では高いものを持っていた。

 第9回のスニーカー大賞で奨励賞をとった水口敬文の「憐 Ren 刻のナイフと空色のミライ」(角川スニーカー文庫、533円)から漂うのは、そんなジュブナイル作品に似た空気感だ。時代は現代で舞台は学園。怪我で入院していた鳴瀬玲人が退院すると、教室に1人、見知らぬ女の子が座っていた。名を朝槻憐という彼女をけれども、教室の誰もが転校生ではなく、4月からずっと一緒だったと言って、彼女は誰だと騒ぐ玲人を不思議がる。

 ところが学校をひとたび出ると、その同級生たちはそろって「憐って誰?」と言うように一変してしまうからもう訳が分からない。問いつめるとおかしくなってしまう同級生もいてますます燐への怪しさが募る。いったい彼女は何者なのか。そして何故に玲人だけが彼女の存在の異様さに気付いているのか。物語はそこから時間と運命をめぐる残酷なドラマへと発展していく。

 自分では切り開くことのできない運命というものをを突きつけられた時に、人はだったら運命を変えてみせると粋がることができるのか。それとも諾々と運命に従って生きることになるのか。前者でありたいというのがきっと、人であったら誰でも抱く願望だ。けれども変えられる緩いものでは運命はないのだと断言され、下手に変えようとすると自分以外の者に犠牲を出してしまうかもしれないと言われ、それでも我が儘勝手に振る舞える人は少ない。

 自分だけの運命を生きるべきなのか。それとも自分を犠牲にしてでもすべての運命に殉じるべきなのか。あるいはそれ以外の道があって進むことができるのか。人として生きていく上で大切なことを、いろいろと考えさせられる設定が仕込まれていて、よくあるボーイ・ミーツ・ガールの物語だと思って読んでいた人の頭を、すっと冷やしてその目を見開かせる。

 人に貴賤をつけて激しく差別する未来世界の、かつての封建時代すら生やさしく思えるくらいの残酷な様に驚かされるし、そんな残酷な未来に行われている、犯罪者を罰する方法も過去に類を見ない苛烈さで背筋を凍らされる。よくもこんな刑罰を考え出したものだと、書いた作者の練り上げられたアイディアへの賛辞を惜しまない。意地が悪いから考えられるのか。それとも逆に優しいからこそ人の嫌がることに敏感なのか。想像が向く。

 エンディング。燐と玲人によって選ばれた道が、果たして燐やそれ以外の人たちの運命にどれほどの影響を与えるものなのかに興味が及ぶ。他に描かれた運命を変えようとして果たせなかった者たちにが辿った道の悲惨さを知れば知るほど、そんな者たち以上に激しく己の運命を探求した燐と玲人に与えられる苛烈な運命に涙もにじむ。

 もっとも悲惨であれ幸福であれ、どんな運命を辿るかは本編には描かれていない。描かれていないからこそ浮かぶ想像も幅が広がるのだが、果たしてその通りになるのかそれとも? 続編として描かれる可能性に気も向かう。ただストレートな続編というよりは、それぞれのキャラクターによる”その後”をつづり、連作風にシリーズ化していくのもひとつの手だろう。そうやって描き上げられる未来世界の苛烈さ、運命の重さ、人間の力強さに読む人は感涙し、感銘して感動する。

 もちろん未来に”希望”を抱かせてくれたままにしておいてもらっても構わない。その方が気持ちの上でも暖かいままでいられる。作者の人にはこれはこれとして封印をし、持てる創造力と造形力を新たなる作品に全力投入してもらいたいものだ。頑張って欲しい。


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