天魔の羅刹兵 一の巻

 どうして自分は選ばれなかったのだろう。

 と憤ったところで今のこの世ではおそらくかなうはずもない望みだ、あきらめるしかない。宇宙飛行士もF1レーサーも努力すれば(才能も必要だが)今だって20年前だってなれただろう。だが、「鉄人28号」から「ジャイアントロボ」を経て「機動戦士ガンダム」が生まれて20年が経ち、再来年には21世紀に突入するというのに未だ誰も「巨大ロボット」の操縦者にはなっていないのだから。

 40を過ぎて宇宙飛行士になる人間だっているのだから、これから先にまだ巨大ロボットの操縦者になれるチャンスだってあるかも、と励ましてくれる人がいれば有り難い。だが、やはり巨大ロボットは少年でなければ、それも運命か偶然によって選ばれた少年でなければ似合わないというのが俗な言葉で言うなら”お約束”。正義感が強く妥協とか打算をせずに真っ直ぐで、それ故に悩みも苦しみもするが最後は自分を取り戻して戦い抜く少年の美しさがあって、巨大ロボットをめぐる物語は光を放つ。

 4年ぶりの大復活、と言っても「女王様の紅い翼」(講談社ノベルズ、738円)に始まるシリーズとは舞台も設定もガラリと趣を変えた高瀬彼方の新作「天魔の羅刹兵 一の巻」(講談社、880円)は、理不尽シャイア・メーソンも下僕ジェイムズ・フーバーも脳天気イズミ・マキムラも出ず、ギャグのかけらも無いハードな合戦場面から幕を明ける。

 時は戦国時代、織田信長が武田信玄亡き後の甲斐の国と一戦を交えようとしてるかの高名な「長篠の合戦」へと持ち込まれたのは種子島に南蛮より渡来した新装備。本来は土木用として使われていたその装備を、信長は戦場でも利用可能な兵器へと鍛え上げて持ち込んだのだった。

 精神に多大な負担を強いるその兵器を動かせるのは柴田勝家、明智光秀ら選ばれた数人のみ。だが戦場で武田軍に加わっていた16歳の少年、穴山小平太は、操縦していた光秀の精神を超えて兵器を操る能力を見せた。このため小平太は殺されることなく捉えられ光秀の麾下に入れられて、「機動戦士ガンダム」のアムロ・レイあるいは「新世紀エヴァンゲリオン」の碇シンジよろしく、その兵器「羅刹兵」に搭乗し、戦場へと足を踏み入れる。

 けれども血で血を洗う戦場だけに、筋金入りの小心者で武士でもなかった少年の精神にはすぐさま試練が訪れた。目の前でつい先日までは同じ身分だった農民たちが、一向一揆の一味だからと信長によって惨殺されていく。これが果たして正義なのかと小平太は悩む。そこで「逃げちゃだめだ」「逃げちゃだめだ」「逃げちゃだめだ」、とは流石に言わなかったが、信長の天下を俯瞰しての所業だと説く秀吉の甘言と、自分自信に意味を考えさせようとする光秀の苦言を入れ、金棒を振り回しまさに「羅刹」となって、戦場に血の雨を降らせる。

 武士、としての精神を注入された小平太の果たして次巻以降の活躍はといった所で文字どおり1巻の終わりとなる「天魔の羅刹兵 一の巻」。京極夏彦の献じた「無類極上」の言葉に偽りはなくまた今野敏の「あ、この手があったか」はまさに至言。自身「慎治」(双葉社、1750円)で無類の「ガンダム」マニアぶりを見せ「エヴァ」への造詣も披露しつつ少年の成長を描いた今野に献辞を頼んだことがすなわち、作品の性格を現していると言えるだろう。

 ただ文中でも指摘されるように「羅刹丙」は万能でもなければ無敵でもない。注目もされてますます厳しくなっていく戦いの中で機能をどう向上させていくのか、また小平太自身の能力もどこまで高まっていくのかに興味が及ぶ。

 本編では姿をほとんど見せず家臣団を通してしかその才気を示していない「第六天魔王」織田信長と、偶然にしておそらくは何らかの必然を持って「羅刹兵」に乗り込むことになった穴山小平太の生き様が、今後どうクロスしていくのかも見てみたい。光秀の麾下に入っている小平太の身上を考えれば、おそらくは「本能寺の変」へと至る過程で何らかの波瀾があるだろう。

 とりあえずは武士として前を向いた小平太の精神にも、これからまだまだ一波乱も二波瀾もあるだろ。これを物語のなかでどう描くか、そしてそれが読者とりわけ「逃げちゃだめだ」と考えている少年たちの気持ちにどこまでフィットするかによって、娯楽的軍談本でありながらも感動を呼ぶ青春小説として、より多くの読者にアピールしていけるだろう。今の少年もおそらくは「巨大ロボット」の操縦者にはなれないが、だからこそ本の世界に夢を見せつつ成長への糧を与えてあげてもらいたい。


積ん読パラダイスへ戻る