プリズムの瞳

 「鏡よ鏡」と鏡に向かって呪文を唱える。そしてたずねる。「世界で一番美しいのはだあれ」。  返ってくるのは「それはあなた」という言葉。別に“魔法の鏡”なんかじゃない。真実を告げる“魔法の鏡”は残酷に「それは白雪姫」だと告げてあなたを怒らせる。

 普通の鏡は、鏡を見ているひとが聞きたい言葉しか返さない。いや、鏡は言葉なんて返さない。聞こえるのは鏡を見ているひとが発した心の言葉。それが鏡に反射して聞こえてきたように感じただけ。ひとはとても身勝手ないきものなのだ。

 けれども、耳にやさしい言葉だけを聞いてひとは生きてはいけない。未来をせばめ生き方を悲しいものにしてしまう。本当のことを知って、本当の自分を感じ、本当の明日を手にするためには、周りの言葉に耳をかたむけなくてはいけない。

 それなのにひとの弱い心、傷つきやすい心は自分の聞きたい言葉だけしか届けない。届けようとしない。だから“魔法の鏡”が求められる。菅浩江の「プリズムの瞳」(東京創元社、1900円)という連作短編集ではその“魔法の鏡”の役目を、人間にそっくりのロボットたちが果たしている。

 そんなに遠くはない未来。人間にそっくりのロボットが生み出されて、普通に街に出て動き回るようにはなっていた。なかには、さまざまな仕事をプロフェッショナルのひとたちに負けない技術でこなせる、<ピイ・シリーズ>というロボットもあったが、なぜか職域から排除されるようになっていった。

 生まれてきた意味を失った<ピイ>たちは、国の管轄のもとで絵を描くようにいわれて外に出た。やがて国は面倒を見なくなり、部品も失われて壊れ朽ちていく<ピイ・シリーズ>も出るようになったなか、残りの<ピイ>たちは今も手に道具を持って全国を歩いて、絵を描いている。

 「プリズムの瞳」は、そんな<ピイ・シリーズ>のロボットたちが、さまざまな場所を訪れて、それぞれの能力にあわせた方法で絵を描き、そこでいろいろなひとたちと関わりを持っていくという形式の連作短編集だ。

 たとえば、医療分野にかかわっていたらしい<ピイ>は、ひとから採取した血にふくまれるさまざまな情報によって変化する絵の具をつかって、絵を描いている。とおりがかった女性も1枚描いてもらおうと血液を提供するが、同居している男性がなぜか強攻に反対して、<ピイ>から女性の血液サンプルを取り返そうとする。

 女性の血液を分析されたらいけない理由。男性が女性をパートナーにしている訳。<ピイ>と出会い<ピイ>が絵を描こうとする行為を鏡のように、女性は自分というものの存在意義を考える。打算を超えた情愛の心がわきあがってきて、どこかぎくしゃくしていたふたりの間が一気に縮まっていく。

 抽象画しか好まない、いつも遠くを見るようなまなざしをもった男性とつきあっている女性が、男性に自分をもっと自分を見てもらいたいと、道ばたにいて抽象画ばかり描いていた<ピイ>に自分の絵を描いてもらう。すると出来上がってきたのがくすんだ色の抽象画。見たいものではなかった絵に、女性は描き直しを要求する。

 抽象画しか見ない男性に、<ピイ>に描いてもらった抽象画化された自分を見せて、何を言ってくれるのかを女性は気にしていた。くすんだ絵では非難されるかもしれないと怖かった。綺麗な絵ならと期待した。<ピイ>という真実を写す鏡を得てもなお、真実をねじまげ自分の見たい姿しか見ようとしない女性の態度が、それほどまでの熱情があるとはいえ、どことなくもの悲しい。

 けれども、実は男性には実は秘密があって、決して女性を愛していなかったわけではなかったことが分かる。まさしく独り相撲。<ピイ>はだから、疑心暗鬼の女性の雰囲気からまず最初のくすんだ色をした絵を容赦なく描いたのかもしれない。そんな<ピイ>との邂逅を経て、男性の本心を知って女性は自分の揺れて惑った自分の心を知り、虚飾を棄てて次への1歩を踏み出す。

 ほかにも、さざまなシチュエーションで登場して、絵を描き絵を見せ、さまざまな人間の心をざわつかせる<ピイ>。あまりにすべてを合理的に処理し、たずねても合理的な答えしか返さない<ピイ>が告げる残酷な真実に憤り、<ピイ>を排除しようと画策する勢力も登場する。

 正直者過ぎる<ピイ>が息子の犯罪を告発してしまい、それが理由で自分の将来が閉ざされたと逆恨みする父親などは、「鏡よ鏡」とたずねたひとの本質をとらえ、曲げずに反射して照らし出す“魔法の鏡”のような<ピイ>こそがすべての元凶と憤り、流浪しながら<ピイ>を撲滅するた組織を作り出す。

 ひとをおとしめ、ひとになりかわろうとし、ひとを幸福にしない<ピイ>はだから不必要なのか? たとえ逆恨みでも、将来を閉ざされたと感じる男がいるからには、全面的に必要な存在だと断言はできない。ただ一方に、本質を見抜き本質だけを告げる<ピイ>という“魔法の鏡”の言葉に、殻を脱ぎ捨て身軽になって、未来をつかんだ人たちも少なからずいる。

 曖昧なままでいることの幸せも確かにある。<ピイ>から真実など告げられる必要はないと断じる人の気持ちは否定できない。けれども、そこそこの幸福から絶対の幸福へと突き抜けられないでいる曖昧さが生む心残りの感情、迷いや葛藤といったものを振り払って、満点に近い幸福をつかむこともまた素晴らしい。

 選ぶのはどちらの道か。それをたずねるべき<ピイ>は現実には存在しない。だがしかし、この「ピイ・シリーズ」をまとめた「プリズムの瞳」という連作集自体が、ひとはどこまで正直であるべきなのかを読むひとたちに考えさせ、そして答えへと至らせる“魔法の鏡”なのかもしれない。

 だから問おう。「鏡よ鏡」と呪文を唱え本を開いて「ひとはどう生きるべきなのか」と。そして繰り出されるいくつもの物語のなかに、身勝手ではない生きるための道を見つけだそう。


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