パンツブレイカー

 ミダース王が豊穣神のデュオニソスに願ったのは、触れるものがすべて黄金に変わるという力。それを得てより多くの富が得られると喜んだのもつかの間、運ばれて来た食事を手にとると、それがことごとく黄金になって喉を通らない。

 飲み物も同じ。せっかくの黄金を得ながらも、むしろ飢えに苦しむことになったミダース王は、デュオニソスに祈り力を取り除いてもらい、その時に力を洗い流した川では、砂金が多く取れるようになったという。有名なギリシア神話の一節。人間は分不相応な願いをするべきではなく、また願うなら深く考えてどういった影響が出るのかを理解すべきだろうという、警句として今に語り継がれている。

 ひるがって汐正幸という少年が、とある神社に祀られた神より得たとある能力は、人間の業にも近い願望を、あっさりとかなえてくれるものだったりする。寝食に影響を及ぼすことは直接的にはない。仮にその力が手に入ったら、多くの人は喜び勇んでAKB48なりライブ会場へと赴くか、夏のとしまえん大プールへと突っ込んで、たっぷりの眼福を得ようとするだろう。

 だからといって、永遠に保持していた能力かというとそうでもない。一時の眼福に浸った後に来る大変に面倒な事態。それを見せつけられた時に人はもうこりごりだ、すぐにでもこんな力は剥奪して欲しいと思うだろう。川に流せるものなら流したい。それで川の水を飲んだ動物たちが、腰の部分の毛だけがごっそり抜けてしまう逆プードル状態になったところで、自分に影響がないから気にはしないだろう。

 けれども、能力は汐正幸から離れようとはせず、今もつきまとっては彼を不幸な状態に置いている。発端は子供のころに行った遠足。汐正幸は山中で仲間たちと拾ったエロ本を読んでいたところを先生に見つかり、中断された気分も残っていたのか、立ち寄った神社でついついこんな願いをしてしまう。

 「邪魔くさいパンツとか死ねばいいのに」。そして光が炸裂し、恐るべき能力が発動する。パンツブレイカー。半径2メートル以内に近寄る者のパンツをすべてしっかり消滅させるとうとてつもな力。以後、汐正幸の運命は激変し、ミダース王ですら及ばない不幸と絶望の中を生きることになる。

 こうして始まったのが、神尾丈治の「パンツブレイカー」(一迅社、590円)という物語。パンツを消してしまうことが、どうして生死に関わるミダース王より不幸かと言えば、それは彼の能力が、あらゆるパンツを容赦なく消滅させてしまうからだった。街を歩けばあちらこちらで発光が起こり、すれ違う人のパンツを消してしまう。満員電車には乗れない。貸し切りのバスですら危ない。すれ違う車を運転している人のパンツが消えてしまうからだ。

 だったらスパッツをはけばいいとか、ブルマを上からはけばいといった対策も無駄だ。それがパンツと等しく局部を隠すものだという認識が現存する以上、やっぱり消える。消されてしまう。女子に限らず男子も同様。さるまた、すててこ、ふんどし等々が消えてしまうから、主人公は能力が目覚めて以来、ずっと下着をはいてない。

 外も出歩けず学校でも誰にも近寄られず、日々の食事にも事欠く始末。購買に、あるいはコンビニエンスストアに行けば、対面する販売員のパンツを消してしまう。だからずっと食事は自動販売機。あるいは妹の美幸がパンツを消されてしまうのを承知で近寄り、手渡してくれる弁当でしのいでいた。

 パンツなんてただの下着、なくたって上にいろいろまとえば大丈夫と言えばいえる。とはいえ、あれでいろいろ大事な衣類だ。なければスースーとするし、汗やら何やらが直接ズボンやスカートにつくのも防いでる。それがなくなる。大変だ。

 そんな有り様だから、汐正幸はずっと真っ当な学校生活を送ってこられなかった。例えそういう力があると分かってもらえていても、いざ消されてしまうと、どうしても疎まれてしまう。汐正幸が悪い訳でもなく、近寄る当人たちが悪いのに、能力があるからいけないんだと逆ギレされてしまうその不幸。異能がすなわち正義とはならず、むしろ難病疫病のたぐいと見なされる可能性を指し示す。

 変態的でも不思議な能力であることには変わりなく、それを信者の勧誘に使おうと宗教団体から声をかけられ、見せ物にしようとテレビからも声をかけられ、散々もてあそばれた挙げ句に無茶苦茶にされ、放り出されていったいどうすればいいんだと、悩む汐正幸に救いの手。政府が、そうした「ギフト」と呼ばれる不思議な能力を持った人たちだけを集めた孤島にある学校へ、汐正幸を受け入れると決定した。

 そこでもやはり現れる逆ギレたち。クラスメートとなった松葉瞳は、何度注意しても改めず近寄っては高い下着を消されたと嘆いて怒りつかっかる。それは本当に怒りなのかあるいは心のどこかに潜在的に、下着を消されたいという願望があってそれが声とは裏腹な態度となって現れるのか。不明ながらもそんな鬱陶しい少女もいれば、正幸の持つ能力の特異性に関心を持って、パンツが消えるのも厭わず近寄ってきて研究させろという天才美少女、姿影那もいたりする。

 そうやって近寄ってくる人がいると、今度はずっと兄を世話してきて、肉親以上の情愛を抱いていたりする妹の美幸も心をやきもきさせて、そして起こる三角四角の修羅場チックなラブコメ関係が浮かぶ。

 そんな楽しさを味わうことも可能だが、「パンツブレイカー」ではそれとは別に、やっぱり浮かび上がってくるの、不可抗力な力に対していったい世間は何をできるのか? 家族はなにをするべきなのか? といった主題。許せなくても認め、愛せなくても慈しむ。そんな態度こそが、不幸に喘ぐ人の心を救い導くのだと知ろう。

 笑えるえれども人の不幸に親身になることを学べ、その上にたっぷりの眼福だって得られる物語。タイトルだけなら一発勝負の飛び道具のような印象はあるが、実は真摯に異能への探求を行った傑作だったりする、かもしれない。

 ここまで聞いて果たしてあなたはパンツブレイカーの能力が欲しいか否か。汐正幸の能力に理解を示す姿影那が、妹がやっているのと同じように、能力発動限界でパンツを脱いで畳んで机の上に置き、すっと近寄って来てくれるシーンを想像すると、あって悪くないなと思えてしまう。

 結局人は助平で、そして神様も助平で、挙げ句に起こるとんでおない事態もあって、まだまだお騒がせが続きそう。物語も続くのか。続くのだったら今度はさらに困難なシチュエーション、たとえば海水浴であるとか(水着もすべて消し飛ばすのだ。恐るべしパンツブレイカー)、テニスとか(アンダースコートは当然に光とともに消し飛ぶだろう)といった場面に放り込まれて、汐正幸がどう事態を治めるのか。そんな苦闘を見てみたい。

 まわしが全部消えてしまう相撲大会はあまり見たくはないが。


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