「おたく」の精神史 一九八〇年代論

 1970年の「万国博覧会」で明けて、1979年の「機動戦士ガンダム」で暮れた1970年代を、僕が論として語ることは出来なくはないけれど、同時代に10代20代で青春をいう奴を過ごしただろう、1950年代に生まれた世代に譲った方が、より実のあるものとなる。

 その倣いで僕より10歳か干支で一回りくらい下の世代が80年代を論として書きたいと言った時、「おととい来やがれ」と諭すだけの自負はある。小学生からせいぜいが中学生の時に見聞きした体験で、カルチャーを語らてはたまらないという奴だ。

 だからといって僕が80年代を語るに適切な人間かと言うと、これもやっぱり難しい。80年代とひと括りにしてもそこには、一昔とされる10年という時間が間に横たわっている。その上に地域によって得られる経験もまるで違う。それで日本中の万人が納得できる「80年代」なんてものを、論として描き出すのは不可能だ。

 あるのは自分にとっての80年代でしかない。あの時代に自分が感じたこと、得たもの見聞きした事柄をより良く伝えてくれている言説をもって、ベターとするのがとりあえずの最善ということになる。その意味で大塚英志が現した「『おたく』の精神史 一九八〇年代論」(講談社新書、950円)は、僕にとって実にまったくそのものズバリの80年代論だったりする。

 名古屋という地方で友達もなくただ本だけが情報を得る唯一の手段だった暮らしの中で「リュウ」を読み、「プチアップルパイ」を読み「漫画ブリッコ」を読んで過ごした、すなわち大塚さんの手を経た情報にのみ浴して過ごした寂しい高校生大学生にとってあの本に振り返られている80年代は、まさしく同時代であり一心同体であり我が血肉に重なるものだった。糸井重里がいて「朝日ジャーナル」の「若者たちの神々」があってニューアカがブームになって宮崎勤事件が起こって昭和天皇が崩御し手塚治虫さんが亡くなりバブルが終わった10年間は、僕にとっての紛うことなき80年代だった。大塚英志が言う「おたく」とやらに、僕はそのまま当てはまる。

 もちろん大塚英志は大塚英志であって、筑紫哲也でもなければ永江朗でも中森明夫でも仲俣暁生でもなく糸井重里でもない。語られる内容の傾向に大塚英志らしさが満ち溢れれば溢れるほど、まるで現実を踏まえていない80年代論だという意見が出るのも当然だろう。

 だいたいが1章を裂いて語られる「かがみあきら」という漫画家を、おそらくは10人のうちの9人は知らないだろう。そこでどうして岡崎京子が語られないのか、あるいは吾妻ひでおに触れられないのかといった印象を抱き訝りたい思いを抱くだろう。宮崎駿監督に押井守監督に富野由悠紀監督のアニメ御三家についてだったらより自然だ。

 不足している部分があることも認める。セゾン文化と呼ばれるものが80年代を跳梁し跋扈した挙げ句に雲散したけどその辺りにどこまで踏み込んでいるのか。ニューミュージックと呼ばれる音楽が台頭しバンドブームが起こり一方で「おニャン子クラブ」なるものが世間を圧倒して消えたことにどこまで触れられているのか。「それは『おたく』じゃない」と言えば言えないこともないけれど、今ほど特定のジャンルに閉じこもってはいなかった「おたく」たちは世間一般で流行る音楽にも文化にもそれなりに感心は持っていた。影響は皆無ではなかったはずで、それを除外してはやっぱり80年代は振り返られない。

 「SF」は社会的なムーブメントにこそならなかったけど、80年代は初頭にデビューした神林長平に大原まり子に火浦功さんに草上仁さんといった面々がジャンル内で活躍し、テレビCMやマンガ原作といったSFのジャンル外へと進出していた。ちょっとは触れて欲しいところだけど触れられていない。SFは大塚さんの眼中になかったということだろう。仕方がない。けれどもゲームは違う。「ファミリーコンピュータ」が出てゲームが子供たちの間で人気となって今のゲーム大国へと日本を押し上げる基礎が創られたのが80年代。なのに「『おたく』の精神史 一九八〇年代論」には、「ビックリマンチョコ」の話はあってもゲームについてはページがない。

 おそらくは大塚英志がゲームにのめり込まない人間で、同時代的に経験していないから半ば私論であり自伝に近いニュアンスのこの本で、語る訳にはいかなかったのだろう。けどやっぱりはずせない「おたく」的なアイテムだった訳で、八〇年代後半におけるゲームとそれをとりまく出版なり、人材といったものを踏まえた論考が補完された「一九八〇年代論」というものが、やはり書かれる必要があると感じている。僕自身が大塚英志と同様にゲーム文化の洗礼をまるで受けていない関係もあって、勉強も含めて振り返らなければいけない気分に駆られている。

 けれども、というよりだからこそ僕はこの本を全面的に支持する。下がって見ればつまりはお釈迦様ならぬ大塚さんの手のひらで踊らされた10年(どちらかといえば80年代でも後半あたり)ということになるけれどそれも仕方がない。大塚英志が名付けた大塚英志の概念にある「おたく」なのだから。「漫画ブリッコ」と「かがみあきら」に明け暮れ”若者達の神々”に惹かれゲームには手を出さずMの事件に自分との重なりを感じて怯えた人間なのだから。

 それと大塚英志が書いた”大塚史観”にあふれた本だからといって、商業的な出版物として刊行されてそれなりに売れているという現実が、今の大塚英志のポジションからその本を読んでみたいという人たちを集めている可能性を含めても、数千人から万を超えるオーダーで”大塚史観”に重なる人たちがいることを指し示す。あの時代に「漫画ブリッコ」や「リュウ」といった雑誌たちがそれなりに影響力を、漫画ということもあってSFの雑誌群よりも広い範囲への影響力を持っていたのかもしれない。

 もちろん数が正しさの現れではないし、世代によっても地域によっても大きく異なる印象があるのことは、やはり踏まえておかなくてはならない。主観的にはベターな本でも客観的にはあくまでも叩き台として、そこに自分の”史観”なりを赤ペンで、上から書き加えていくなり細字のペンで、行間に小さく書き記していくのが正しい使い方、なのだろう。大勢が補筆して完成された壮大かつ網羅的な「『おたく』の精神史 一九八〇年代論」が出る日が楽しみだ。


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