大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇

 地獄良いとこ1度はおいで。ただし2度目はないけれど。

 劇作家の前田司郎が書いた「大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇」(幻冬舎、1600円)は、4年ほどの同棲を経て結婚へといたった大木家の咲と信義のカップルが、奇妙なチラシに誘われ、新婚旅行も兼ねて地獄に向かうという話。

 五反田にあるデパートの屋上に、奇妙な濡れた男を追いかけて行った妻が出会った謎の女から、受け取ったチラシが地獄旅行の案内で、読むと1泊2食付きで2万2000円。温泉もあって良さそうだと思った咲と信義は、2人してデパートの屋上にある小さな池を通り抜け、地獄へと舞い降りる。

 そこは森へとつながる道の上で、2人は振り返るなという言いつけを破って森の中で道に迷い、たどりついた土手のそばで肌が赤い人たちに追われたり、猫が生える畑をながめなた後、こちらは肌が青い少女に拾われて、車で街まで送られてようやく宿泊先の旅館へとたどり着く。

 リアルな日常からするりと入った非日常。そこを異常と思わずふるまう夫婦2人の姿には、休暇を喜び、珍しいものに驚きながら、旅行を楽しむ明るさにあふれている。もっとも、それなば旅行先が地獄ではなく日光でも、熱海でも構わなないということになる。

 問題は2人が、というより咲が地獄へと導かれるきかっけに、家から消えた炊飯器があったこと。2人は結婚前に、それぞれ炊飯器を持っていた。咲は自分の炊飯器の方が美味しいご飯を炊けると思っていた。けれども同棲するようになって、2人は信義の炊飯器を使うようになった。結婚すると信義は、咲の炊飯器は捨ててしまおうと言い出した。

 流れとしてはごく当たり前。2つもいらないのならどちらかを捨てる。けれどもどうして信義のものではなく、咲のものだったのか。そこに生まれたちょっとした信頼感のズレのようなものが、何も起こらない平穏な日常の裏側で広がっていき、未来に破綻をもたらしたかもしれない。

 そこに降って湧いた地獄旅行。漫然として続く日常に与えられた刺激が、2人の絆に再締結をもたらし、綻びを改めてしっかりと結び合わせたのだとした、地獄旅行には大いに意味があった。

 頭から入ると脚から落ちる地獄行きの道のりにはじまって、背中の方で2人がともに知っていた人物をめぐるうわさ話が繰り広げられる怪奇現象、近くに来た人たちをどうにかしてしまうらしい赤い人の存在と、それとは対比され他人に親切な青い人の存在といった地獄の住人たちの構図等々。ほんわかとした紀行文の中に描かれる異形のビジョンが、想像をかきたて次に何が来るんだろという興味から、ページをめくらせる。

 ビーフシチューのような色をした温泉は、入ると小さな虫が体の汚れを食べて綺麗にしてくれるけれど、流れがあって行き着く先でどこかに吸い込まれてしまう。ホテルはエレベーターがなく、20階前後を階段で行き来しなくてはならない。サービスの行き届いた観光地ではなく、地獄だからこそ味わえるスリルや苦労が、怠惰さに流されがちな現代人の心と体を鍛え直す。甘えがちな人たちは、いちどは地獄に行ってみると、身も心もきっと引き締まるだろう。

ただし2度目はないけれど。

 夫は青くなり、妻は赤くなって離ればなれになってしまった夫婦の話。その夫が何者かに対してまだかと問うと、2人ともまだだと聞かされる場面に漂う絶望感は、そこが観光地ではなく、地獄なのだということを改めて突きつける。生者が2度目に来れば、体は青くなるか赤くなって、日々をそこに留め置かれる羽目となる。だから、現世にたとえ嫌気がさしても、ゆめゆめ再来をのぞことなかれ。今を精一杯に生きよと教えられる。

 大木夫妻に親切にしてくれた青い肌の少女が、弟たちも含めていつかじぶんたちを生んでほしいと言う場面。地獄は地獄であって、そこには死者たちに課せられた苛烈な運命が待ち受けているのだと分かる。生きていて良かったと思い知る。

 幸せに思えて、実はどこかに虚ろな穴を抱えて惑い、自分が群衆のひとり、背景の書き割りになってしまったような気分に落ち込み、生への執着を後退させている人たちがいたら、五反田にあるデパート屋上を訪ねてみると良い。そこには地獄への入り口があって、自分たちの生を見つめ直させる旅へと誘ってくれるから。


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