女の子の設計図
Drawing of a girl

 そうなってみないと分からないけれど、そんなことはありえないとは思わない。兄弟で。姉妹で。肉親ならではの情愛ではなく、心底からの恋情が生まれ、浮かび上がって育まれる。そんなことが起こってそして、そうなってみたらうれしいと思わせてくれる物語があるから、現実にあって不思議なことだとは思えない。

 「ひみつの階段」で少女たちが集う寄宿舎を漫画に描いた紺野キタの「女の子の設計図」(新書館、850円)に登場するのが、まさにそんなシチュエーション。離婚した母親と父親のそれぞれに連れられ、別れて暮らしていた年子の姉妹の姉の方、花南は父親に再婚相手ができ、家に居づらくなったったと感じて、母親の方へと身を移す。

 そこには青音という名の妹がいて、時々は会っていたけれども本当に久しぶりに一緒に暮らすことになって花南は驚いた。青音の背がぐんと伸びていて、そして髪型もショートになっていて、とてもボーイッシュだった。女子高である種の人気を得そうなタイプで実際に、通っている学校でも、青音は正反対に女の子然とした花南と並んだ姿を、美男美女カップルと言われるほどだった。

 青音はといえば、そうしたからかいにも動じないというか、動じるほどの恋情を持ち合わせていなかたったというか、姉とこうしていっしょにいられることを嬉しがっているようで、夜には枕投げをしようと言ったり、いっしょにお風呂に入ろうと言ったりして、花南と離れて過ごしていた時間を一気に埋めようとする。そんな青音に比べて花南は、青音との距離感を埋められないまま、ボーイッシュになって甘えてくる青音への不思議な感情を、じわじわと覚えるようになっていく。

 高い背を無理に低くして、上目遣いで見つめてくる青音。高い背で花南に近づいて、チュッとおでこにキスをする青音。その行為のひとつひとつは、姉への肉親としての情愛に寄ったものだったのかもしれない。けれども花南にはもうちょっと深く、そして熱い感情がわき上がって胸を焦がし、心を悩ませ迷わせた。

 長く離れて暮らして来たから起こったそういう感情なのか。それとも花南の中にずっとあった想いが、再会によって燃え上がったものなのか。やっぱりよく分からない。分からないけれどもそんな悩みと迷いに手が差し伸べられ、光の中へと引っ張り出された時に漂う幸福の感情は、法律だとか体面だとかいったものなんて吹き飛ばしても良いから、あって欲しいことなんだと思わせてくれる。

 幸せなんだね。嬉しいんだね。花南と青音の2人からあふれ出す、そんなポジティブな感情の前には、どんなに硬くて高い壁だって、木っ端微塵に吹き飛ばされてしまうのだ。

 見知らぬ少女のそれも先輩が、自分の中に男の子が生まれていてもいたってもいられなくなったと少女に告白して来る、ボーイ・イン・ガール・ミーツ・ガールとでも言えそうな「少年」というエピソードは、実際に起こりそうな展開で、その結末に描かれる、自分の中に少年なんて作らなくても受け止めてくれる、壁のない関係の素晴らしさが心を打つ。

 多分これは自殺してしまった少女をいじめていただろう少女のところに、死んだ少女が現れるというか、あるいは悔恨が幻想を見せているというか、そんな不思議なシチュエーションの中で対話が繰り広げられる「wicca」というエピソードは、好きという感情を素直に言い表せない関係の儚さといったものを感じさせる。兄の妻だった女性と深い関係になっていく少女が登場する「おんなのからだ」というエピソードからは、想いに正直になれる素晴らしさが漂い出す。

 世の中に数ある、年若い少女どうしのどこか憧れにも似た恋情をストレートに描く物語たちとは少し違って、複雑な心情をえぐりドロドロとした内奥を見せるような作品となっているところが「女の子の設計図」という作品集ならではのカラー。同じ場所に集う少女たちの、明るくて賑やかな関係が微笑みを生んだ「ひみつの階段」の真っ直ぐさも良いけれど、こうして深い心情に迫る「女の子の設計図」に考え込んでみるのも面白い。どちらが本当の“百合”なのか、そしてどちらが本当の紺野キタなのかも含めて。


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