陰陽寮  安倍晴明篇

 第4回歴史群像賞を受賞したデビュー作「修羅の跫」(学習研究社、980円)で、安倍泰成なるかつてないスケール感を持つ陰陽師を世に送り出し、過去数多(あまた)ある”陰陽師物”と並び中には越えたかもしれない作品すらもあるほどに、強い存在感を示した富樫倫太郎。その実力のほどは、長きを待たせずしてはや第2作目を世に送り、かつ前作に大きく遜色のない物語を描き出してくれたことからも伺われよう。

 題して「陰陽寮 壱 安倍晴明篇」(徳間書店、1300円)は、タイトルを読めば一目瞭然、現在過去未来のいずれをおいてもナンバー1と評して異論を差し挟む余地のない、稀代の陰陽師こと安倍晴明を主人公に据えた物語の、一種プロローグともとれるエピソードとなっている。無論これ1冊で一応の完結は見るものの、提示された謎また多くかつ前作ともどこかリンクしそうな気配がある。例えるなら”陰陽師サーガ”とでも言えば当たらないまでも遠くない、遠大な構想のもとに問われた1冊だとも思えてくる。

 数ある”陰陽師物”でも激戦著しい”晴明物”。夢枕獏に漫画は岡野玲子、加門七海ほか数えれば限りないくらいに、筆力知識のどれをとっても随一の作家漫画家陣が競い合うフィールドに飛び込むだけのことはある。ほかが謎めいた美声年だったり強靭な意志を持つ美少年だったりするなかにあって、齢70歳を越えた老人に晴明を設定し、まずは読者の期待を覆す技に出る。とはいえ顔を白いマスクで覆い、もう数10年も人前に素顔を見せない人物となっている点に、疑問が浮かびかつその裏返しともいえる期待も生まれるが。

 思い返せばすでに「修羅の跫」の中で主役を張った安倍泰成から、通常の人間と平行して永遠に近い命を持った生命体が存在することが示唆されている。人智を越えた世界を舞台に戦う存在も浮かび上がってくる。「陰陽寮」が果たしてその影響下にある作品か否かは読めば追々明らかになるとして、1つ挙げれば本編において晴明よりも大きな役割を担う謎の民族の正体が、神とも例えられそうな超越者の存在を関知させるとだけ言っておこう。

 重ねて言えば「陰陽寮 壱 安倍晴明篇」とある本編で、晴明はどちらかといえば監視者あるいはバイプレーヤーとして描かれている節がある。物語は重い病に床にあって明日の命も知れない時の関白・藤原道隆に、帝にだけ許された神薬を飲ませて自分の栄達の助けになって欲しいを願った息子・伊周が配下に命じ、丹波の山に住むという青い目を持つ渡来人の子孫らしい来流須の村へと、神薬の奪取に向かわせたところからスタートする。配下の源氏は村へとたどり着き、人質をとってどうにか薬の奪取に成功するが、解放した娘が別の山賊に捕まり売られてしまった所から話はややこしく入り組み始める。

 さらわれた娘・藻波が薬を渡したにも関わらず戻ってこないことに許嫁だった来流須の男・兵呂須(へろす)が京へと向かい、山賊がさらったことを知り丹波へと戻りまた京へと返す錯綜を重ね、藻波も山賊からその娘を死んだ妹と思って大切に扱う浮浪児たちへと引き取られ、そこで病にかかって死線をさまよう。浮浪児たちを束ねる鬼道丸は神薬の噂を聞きつけ、藻波を救うために薬を手にれようと宮中へと潜入し、捕まり別の罪でつかまった山賊の頭・獅子王とともに処刑される寸前にまで追いつめられる。

 一方で伊周は神薬が間に合わず、父・道隆を失い権力の座から滑り落ちる危機にあった。対抗勢力の最右翼、後に藤原氏の全盛時代を誇った道長のバックには晴明がいる。困った伊周のバックについたのは、かつて晴明に破れて衰退した蘆屋道政の係累たち。大道芸人に身を落とした道満を長兄にした道詮、道鬼の蘆屋3兄弟。とりわけ末弟の道鬼の力には晴明をもしのぐ物があり、兄たちと計って伊周に取り入り晴明と激しい戦いを繰り広げ、晴明をピンチに陥れる。

 晴明がどうして権力争いの一方に与していたかは多分、日本の安定のためによりベターな道を選んでいるのだろうとは思えるが、ならばなぜそうまでして安定を守らなくてはならないのか、明確なところは定かではなく疑問が泡のように浮かんで来る。それは晴明の存在意義とも関わる問題でもあり、巻が進めば追々詳しく分かって来るだろう。なればこそ「晴明篇」と銘打ちながらも影が薄く圧倒的でもない晴明の立場にも、未だ秘められた力があることが感られ先への興味を喚起させられる。

 来流須の村の長老・米利王須(べりおす)ら、およそ人間離れした存在の意義も含め、これから著者がどのような物語を紡ぎだし、中でどのような答えを出してくれるのかが今は楽しみで仕方がない。とにかく壱巻の始まりを切った”陰陽寮シリーズ”の行く末が、平安を軸に過去から未来へと至る”陰陽師サーガ”とでも言える一大伝奇巨篇であることを、著者の力量を鑑みながら祈り期待し信じたい。


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