おこぼれ姫と円卓の騎士

 知ってしまった。どうすればいい。そう迫られて、決断できるかどうかが、人の聡明さを決める。ましてや、王という重大な立場、国という巨大な存在を背負うかどうかを迫られて、自分なら慌てふためくだろうと考えた時、淡々と事態を受け入れ、王になるための準備をしてきた彼女の聡明さが、ひときわ輝く。

 彼女とは、ソルヴェール国の第1王女、レティーツィア。上に母親の違う第1王子のフリートヘルム、第2王子のグイードという、いずれも賢明で高潔な人格を持った兄たちがいながら、なぜか彼女に王位継承のお鉢が回ってきた。

 理由は、2人の兄たちが王位を争うことになった場合、共に高い信望を持っていたため、いずれかを担ぎ出そうとする者たちも巻き込み、国を2分する争いが起こりかねない、という理由から。それで国力を落とすなら、姫でもレティーツィアに王位を継がせ、婿をとらせて国の安泰をはかる方が良いと、国王も考えた。

 第13回エンターブレインえんため大賞の優秀賞を受賞した、石田リンネの「おこぼれ姫と円卓の騎士」(エンターブレイン、560円)のタイトルにある“おこぼれ姫”は、そんなレティーツィアの、棚ぼたのように王位に就くことになった様を示したもの。こういうと、レティーツィア本人には、まるで才能がないかのように取られるかもしれない。

 レティーツィアが、王立騎士団に所属する男爵家の長男、デューク・バルヒェットに「貴方をわたくしの騎士に任命します。ナイツオブラウンドの第1席をありがたく承ってさっさと頭を下げなさい」と、次期女王とはいえ高飛車に命じる姿を見れば、レティーツィアのわがまま姫ぶりが、ますます強く印象づけられる。

 わがまま姫に振りまわされる、強くて生真面目な騎士。そんな構図のラブコメを想像してしまいがちになる「おこぼれ姫と円卓の騎士」。けれども、読み始めてどうもそうではないことに気づく。

 レティーツィアは、王が決断を下すずっと前から知っていた。自分が王位を継承して女王になることに。夢を見る彼女の周辺に現れる謎の人物たち。そこから過去を知り未来を知り、間をつなぐ自分の役目を知ったたことで、レティーツィアは苦悩しながらも、自分を変えなくてはならなくなった。

 これが権勢欲にまみれた第1王子、虚栄心でいっぱいの第2王子の姿を間近に見て、乗り越えなくてはという意を固めたのだったら、レティーツィアにそれほどの苦悩はなかっただろう。けれども、第1王子のフリートヘルムは社交性があって正義感が強く、第2王子のグイードも真面目で賢い逸材。共に王になるのに相応しい人物たちだったから、レティーツィアは困惑した。

 そうだとわかってしまったからには、引き継がざるを得ない王の位。けれども、自分が本当に王に相応しいのかはわからない心理の中で、それでも自分の役目を貫く勇気を育み、ふるっていこうとするレティーツィアの姿に、読んだ人ならきっと誰でも惹かれるはずだ。運命づけられているからといって、流されるだけには終わらない強い意志。混沌とした世界にあって、学び得たい資質だ。

 レティーツィアが夢に見る、過去現在未来の記録に残る55回には及ばなくても、デュークのところに何度も通って騎士になれと頭を下げ……はせず、命令するレティーツィアの居丈高な振る舞いは、それはそれで強引な美少女の個性だと楽しめる。そんな命令に屈することなく、フリートヘルムとの友情と、家系からくるグイードへの敬意の狭間で、孤高を貫こうとするデュークの高潔さも気持ちいい。

 そんな2人の、押しつ押されつつして進んでいく関係を楽しみ、レティーツィアが知っていることを知って、国のために人材が必要だからと強引さを貫く彼女の強さを感じ、レティーツィアが知っていることを知って、気持ちを揺らすデュークの心理を味わっていける物語。デュークの後輩にあたる若い騎士を揺らし、ソルヴェール王国の内部を揺さぶるアイテムの存在も明るみに出て、今後の展開に波瀾万丈を期待できる。

 ひとつの危機は乗り越えても、国の不安定さはまだ続く。レティーツィアは知っていても、フリートヘルムは知らずグイードもそのことを知らない以上、彼女は実力でもって2人の兄に優っていることを証明しなくてはならない。彼女がいなくなればと策謀をめぐらせる、兄たちの関係者もいて、これらとも戦っていかなくてはならない。

 知られたら知られたで、運命なんて壊せばいいと2人の兄が、共に打って出る可能性もある中で、レティーツィアは何を思い、どう動いていくのか。姫と騎士の恋愛譚に留まらない、国を治め人を導くことの意味を問い、過去を引き継ぎ未来へと繋ぐことの意義を問い、その中で自分自身を最大限に発揮し貫いていく大切さを問う物語として、この先も続いていって欲しい。


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